望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

日本人として恥ずかしい?

 Japanはクールなのだという。一昔前は揶揄する言葉として使われていた「オタク」が、趣味に没頭する生き方として認められ、海外でも通用するというし、「いい年をして漫画ばかり読んで」などと言われていたのが、いまやMangaは現代日本文化の代表のような受け止められ方を海外ではしているらしい。



 こうなると日本文化に詳しいガイジンさんが世界各地に増えて、日本に来たりする。そんなガイジンさんに何かを聞かれた日本人が、うまく答えられないなんてことは珍しくない。中には、うまく答えることができなかったことを恥じ入る日本人もいる。そんな人は「ちゃんと説明できず、日本人として恥ずかしいと思いました。もっと日本のことを知らなければと思いました」なんて言ったりする。



 前向きでよろしいと言ってあげたいところだが、パターン化された反応にも見える。日本人は皆、ガイジンさんに日本の歴史や文化、風習、流行などを聞かれたときに、正確に答えなければいけないのか? 日本人は皆、日本のガイドさんでなければならなのか?



 別の言い方をする。アメリカ人は皆、フランクリンや南北戦争、ジャズやカウボーイなどに詳しいのか? フランス人は皆、印象派絵画やシャンソン、ワイン、ナポレオンに詳しいのか? 中国人は皆、太平天国や京劇、三国志、満漢全席に詳しいのか? インド人は皆、英の植民地経営やマハーバラータ、タゴール、カレーに詳しいのか? 日本に詳しいガイジンさんは自国についても同様に詳しいのか?



 例えば、訪米した日本人からアメリカのことを訪ねられ、説明できなかったことを恥じるアメリカ人はどれくらいいるのだろうか。「俺は知らない。お前はよく知っているな」で済む話だろう。日本人の“おりこう”な反応は、個人意識よりも集団への帰属意識がまだ強いことの反映かもしれない。



 日本に詳しいガイジンさんに何か聞かれて、答えられなかったとしても、別に恥じる必要はない。日本のことを聞かれたなら、知っていることは教えてあげればいいし、知らないことは知らないと言えばいいだけ。ただし、日本のことであれ何であれ、知識が多いに越したことはない。



 アメリカのことに詳しい日本人がいて、タイに詳しいスウェーデン人がいて、韓国に詳しいフランス人がいて、日本に詳しいパキスタン人がいて、イギリスに詳しい中国人がいたりする。世界的に知識の共有はますます進むだろうし、人の交流も進む。知識の格差も進むだろうが、所得格差などに比べて知識の格差は個人の努力次第という面がある。「もっと日本のことを知らなければと思いました」が本心から出た言葉なら、いいのにね。