いつ頃から使われるようになったのか知らないが、すっかり定着した言葉に「上から目線」がある。誉め言葉ではなく、相手のエラソーな言い方や、他人を見下したような態度を批判したりする時に使う。相手の言ったことに対する反論というより、自分と対等なはずの相手の態度を批判し、時には相手の人格批判の言葉にもなる。
マスコミでも使われている。数年前の例では、地方創生について「首相は各閣僚に『従来とは異次元の施策を』とハッパをかけたが、新しい政策を進めるにあたっては政府が上から目線でレールを敷くのではなく、自治体側とともに知恵を出し合う共同作業が欠かせない」(朝日)とか、スコットランド人が「僕はナショナリストじゃない。でも、ロンドンの『上から目線』には我慢ならない」(産経)。
さらに、原発事故を受けた中間貯蔵施設の建設をめぐり「最後は金目でしょ」と発言した石原伸晃環境相に対して「事故から3年以上たった今も故郷を追われたまま避難生活を続ける福島県大熊、双葉2町の町民からは『上から目線』『避難者の気持ちが分かるか』と強い批判の声」(共同)なんて記事もある。
また、福島第一原発事故による健康不安を解消するために、福島県の全県民約200万人を対象に実施している県民健康管理調査の名称について「県は新年度から『管理』という言葉を外し、『県民健康調査』に改める。現名称に『上からの目線だ』との批判が県議会で出たため」(読売)と、行政に携わる側の姿勢・意識を批判する時にも使われる。
上司が部下に上から目線で言うことは容認されているが、権力に関係する側が人々に上から目線で発言すると反発される。政治家や官僚が人々の上位に位置する人間だとは、政治家や官僚以外は誰も思っていないからだろう。してみると「上から目線」という相手への批判は、人々の間にある平等意識の反映か。
相手の言うことが納得できなければ反論すればいいのだが、相手の言った内容とともに、見下すような言い方にカチンと来た時に「上から目線」だと相手を批判する。自分より上位であるかのような相手の言動に我慢できないのだ。人間社会には上下関係がつきもので、対等か下位のはずが、勝手に上位になったような相手の言動が許せない。そういえば、「あいつは何様のつもりなんだ」なんて言い方は以前からあった。
でも、上から目線だと批判された相手が「悪うございました」と思うかどうかは分からない。逆に、悔しがっている様子を見て、優越感を感じるかもしれない。そんな態度をされると、いっそう腹が立ちそうだ。上から目線の言い方をする相手には、上から目線で言い返すしかない。感情的にならず、クールに相手に反論することで相互に対等な関係だと相手に認識させる。ただ、意識的に上から目線を使うことで、相手を感情的にさせるという討論術もある。