望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

生きているだけで丸儲け

 幼い子供を失って親などが憔悴している様子を、「かける言葉が見つからない」と表現することがある。そんな状態で心が悲しみで溢れている人にとっては、どんな慰めの言葉だろうと心にとめる余裕がないだろうし、亡くした子供のことしか考えていないことが傍からもうかがえ、一層の同情を誘う。

 肉親を亡くしたほどではないが、ひどく落胆している人などを慰め、当人に立ち直りの気配が出てきた頃に、元気を出せよと励ます言葉に「そのうちに、いいこともあるさ」がある。人生は悪いことばかりじゃない、いいことだってあるだろうから、頑張って生きろよと励ます。生きる意欲をかき立てて、前向きに踏み出すことを後押しする。

 似た言葉に「生きているだけで丸儲けなんだから」があるが、少しニュアンスが異なる。この言い方は、いい加減な言葉にも聞こえる。生きているだけでいい……なんて無責任だという批判もできそうだ。確かに、人間は生きる中で様々な社会的貢献をすべきだろうし、より素晴しい世界になるように務めるべきだろう。でも、落胆から立ち直る時に、個人の存在そのものを肯定することは励みになる。社会的なことについて考えるのは後からでいい。

 「生きているだけで丸儲け」というのは精神論のようだが、実は科学的にも正しい言葉だ。人間は誰もが、この世界にただ1人の存在だ。複数の人間が全く同じ人生を送ることはない。1人の人間が存在することは特別のことであり、それだけで価値がある。人類が誕生してから百億人以上の人間が地球上で存在しただろうが、誰もがただ一つだけの特別な人生を生きたし、生きている。

 38億年も昔に地球のどこかで誕生した原始生物が生命をリレーし続け、その延長に一人ひとりの人間は位置する。そうして生まれた人間は、一人ひとりが独自の人生を送る。同じ人生はない。人生には規格品はなく、全てが特別な人生なのだ。この世に誕生して生きることができれば、それだけで特別な体験であり、生命体としては丸儲けなのだ。

 その特別な人生も、人によって様々な軌跡をたどる。喜びもあれば悲しみもあり、いいこともあれば悪いこともある人生がフツーかもしれないが、不運続きの人生を送る人もいようし、幸運続きの人生を送る人もいよう。たとえ不幸続きであろうと不運続きであろうと、それも、その人にしか経験できない1回だけの特別な人生。どんな人も、どんな人生も、生きているだけで価値がある。