望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

笑うチカラ

  約3年ぶりに2014年に行われた日中首脳会談は、両首脳の固い表情の握手で始まり、2人とも親しげな表情は見せないままに終わったと報じられた。公開された映像では、特に中国の習近平主席の不機嫌そうな、ソッポを向いて握手する様子が話題となった。

 不快感全開といった習近平主席の様子は、自然に出た態度というより、意図して演じていることが見え見えだが、外交的儀礼からすると失礼千万。もし、来日した習近平主席との会談で日本の首相が、そっぽを向いて握手したなら、“大国”中国の国内世論には怒りのコメントが溢れそうだが、日本国内では冷静に受け止めていた。

 日本では「あれは、中国の国内世論対策」という見方が多かった。さんざん反日世論を煽り続けてきたのに、急に仲良く会談するのでは格好がつかないから、いやいや会ってやったという体裁を整えるために、習近平主席は不機嫌を装わざるを得なかったという解釈だ。

 大嫌いな相手でも、政治理念が正反対の相手でも、外交舞台で会う時には政治家は礼儀正しく振る舞うのが基本。うっかり感情的に振る舞うと、相手に攻撃材料を与えてしまうからだ。日本の外交は「おとなしい」ので、習近平主席の態度を今後の中国攻撃に利用したりはしないだろうが。まあ、習近平主席が大人(たいじん)ではないことが明らかになったのは外交的収穫かな。

 一方で、習近平主席の仏頂面に対して、アハハと笑い飛ばす反応は少なかった。日中関係の深刻な対立を反映したものなどと理解するよりも、習近平主席の仏頂面を多くの日本人が笑い、欧米でも笑いのネタにされたなら、“中国独自”の行動で恥をかくことがあることに中国は気づいたかもしれない。恥をかくことで成長・成熟することもある。

 公人である政治家は国籍を問わず、批判の対象であり、風刺の対象であり、笑いの対象でもあるのに、習近平主席の仏頂面に対して日本で大笑いが沸き起こらなかったのは、笑う力が衰弱しているからかもしれない。政治家を笑ってはならず、尊敬しなければならない……なんて社会にはなっていないだろうが、自主規制めいたものがマスコミの一部に垣間見えたりする。

 例えば、爆笑問題がかつてNHKの番組に出演したときに、用意していた政治家に関するネタはすべて局側にボツにされたという。政治的圧力ではなく、問題を避けるための局側の自粛によるものだとか。圧力はタレントにではなく、局など媒体にかかるようになったから、触らぬ神に祟りなし……なのだろうが、政治家を笑うことができなくなれば、批判などできるはずがない。

 おおらかに政治家を笑うことができる社会は風通しがいい。笑う力を活性化させるには、習近平主席の仏頂面を思い出すのがいい。笑い飛ばす手頃な材料を提供してくれた。世界にも日本にも、おかしなことには事欠かないから、おおらかに、もっと笑おうか。