望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

政治家が活用する印象操作

 辞書によると「印象」とは「①見たり聞いたりした時に対象物が人間の心に与える感じ、②心に残っていること」で、「操作」とは「①機械・器具などを動かして作業させること、②自分に都合の良い結果が得られるように手を加える」こと。「操作」の②の用例で「株価を操作する/帳簿を操作して利益を隠す」が挙げられるように、②は、良からぬ行為を示す時に使われる。

 印象を操作するとは、人々から好感・同意を得たり人々に否定的感情を持たせないため、都合のいい印象を与えるように情報を発信する側が手を加えることだ。これは珍しいものではなく、日常に溢れている。商品CMや企業CMは典型例だが、広報にも印象操作は欠かせず、不祥事を起こした企業の幹部らが記者会見で立ち上がり、一定時間、深々と頭を下げる姿を見せて、その映像を報道してもらったりする。

 印象操作は政治につきもので、大規模な例はナチスソ連などが行ったプロパガンダだろう。ナチス共産主義国家への反発からプロパガンダは悪しき行為とみなされることもあるが、程度の差はあれ、民主主義国でもプロパガンダは行われている。自由選挙において候補者は主権者に対して印象操作を欠かすことはできず、好感を与えるようにと精一杯努力した表情でポスターに現れたりする。

 いつでも選挙に備えている(はずの)政治家の発言や行動は常に、主権者に対する印象操作に配慮しているのだろう。だから、自分の好感度に悪影響を与えかねない他の政治家からの印象操作には過敏になる。政治は権力を争うものであり、対立する政治家の「失点」は自分の「得点」になるから、互いに相手の好感度を下げようと印象操作し合う。

 政治家にとって印象操作は誰もが日常的に行っていることだろうに、ことさら対立する側だけの印象操作を批判する政治家が現れた。政治家を長年続けてきた人物が今更、他の政治家の印象操作を批判する意図は不明だが、印象操作だと言い立てることで、他の政治家からの自分に対する批判の効果を薄める効果はありそうだ。

 また、印象操作していると他の政治家を批判する政治家は、情報が操作されていると人々に思わせて、他の政治家は信頼できないとの印象操作を行いつつ、自分が被害者であるかのように装うこともできる。被害者を演じることは印象操作には有効で、被害者の言葉は同情心を刺激して人々に受け入れられやすい。

 一方で、印象操作を日常的に続けてきた政治家は、つくりあげられた好印象も好感度も何かをきっかけに一気に崩壊する脆いものであることも知っていよう。政治という印象操作に満ちている世界で、自分の印象操作は許され、対立する政治家の印象操作は許されないとする批判は、その政治家がいかに印象操作に過敏になっているのかを示している。