望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

それでも新聞を読みたいという需要

 実家が朝日新聞を購読していたので子供の頃から朝日新聞が身近にあったという友人は、親元を離れて社会人になって以来、朝日新聞を購読し続けていた。社会人なら新聞を購読するのが当然だと思い、子供の頃からの親近感もあって朝日新聞を購読していた。

 その友人が朝日新聞の購読をやめた。友人は朝日新聞の論調の熱心な支持者ではなかったが、信頼できる新聞だと思っていたという。その信頼が揺らぎ始めたのは、慰安婦問題の誤報を長年放置していたことを朝日新聞が認めてから。誤報があっても速やかに正されると思っていたのに朝日新聞の実態は違って、誤報の事実を隠蔽し、虚偽の情報が拡散することを容認し続けていた。

 裏切られていたと友人は感じたが、ウミを全て出し切れば「新生」朝日新聞はまた信頼できる新聞になると思って購読を続けた。数年たって、朝日新聞の体質が変わったと感じられず、もう信頼できないと友人はとうとう購読をやめた。新聞なんて何でもいいと家族はあっさり同意したという。

 しかし、友人は悩んでいる。新聞が毎日配達される生活を続けていたので新聞は必要だと、まず読売新聞を購読してみたが、友人曰く「紙面がスカスカしている」そうで、当初の契約通り3カ月でやめた。次に毎日新聞にしたが、記者のコラムがやたらに多く、「俺が読みたいのは誰かの解釈ではなく、世界で何が起きたのかという事実なんだ」と友人は“文学的な”毎日新聞もやめた。

 日経新聞は会社で読むことができるし、産経新聞は色がつきすぎていると友人は次に購読すべき新聞を決めかね、新聞が毎朝届かない日が続いている。テレビやスマホでニュースを知ることができるからと家族は新聞が届かなくなっても何も言わないという。

 別の友人は、朝日新聞が信頼できなくなったことは同様だが、他の新聞では物足りないので朝日新聞の購読を続けているという。読むに値する新聞が現れれば切り替えると決め、出張などの移動時に他の新聞を買って読むそうだが、これなら朝日新聞の方がまだマシだと感じることが多いそうだ。

 朝日新聞に愛想を尽かしたものの、新聞は読みたいという需要はある。そうした知的需要に応える新聞とは、事実を重視しつつ現実に根ざしたリベラリズムに基づく新聞だろう。護憲などの「不可侵の教条」を振り回さず、日本や世界の現実を冷静に分析して記事にし、多様な視点を提供する新聞があれば、朝日新聞を離れたが新聞は読みたいという需要をつかむことができるだろう。