望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

アイデンティティ政治

 アイデンティティ政治とは、「あるグループが尊厳をもって、周囲の社会に適切に認識されていないという主張に基づいて行われる政治」と米フランシス・フクヤマ氏は定義し、「ナショナリズムや宗教的な過激主義にも直結する、民主主義の最大の脅威だ」とする。

 何かのアイデンティティを共有する人々がグループ(集団)を形成し、もっと正当に扱われることを要求して、社会から受けている不利益の是正を求めて政治的な行動をする……これは、昔から存在した行動であり、大規模になると、強権的な支配に対する不満を共有する民衆が立ち上がって政権を転覆させる革命になる。

 強権的な支配に対する不満は幅広い人々に共有されるので、帰属意識としてのアイデンティティでは最も間口が広いものだろう。階級意識も間口の広いアイデンティティだったが、労働者階級の独裁=共産党の独裁と奇妙な論理が持ち込まれたこともあって、階級意識アイデンティティの対象とすることは廃れた。

 アイデンティティ政治におけるアイデンティティとは宗教や民族、人種、性的指向などに帰属意識を求めることだ。これらは出生や成育過程で個人に付与されたり、個人が獲得するものであり、特定のグループ(集団)に個人が同化する傾向にある。

 フクヤマ氏は「アイデンティティを宗教や人種、民族に求める時、民主的な政治にとって非常に大きな問題が起こる」とし、「アイデンティティ政治家たちは特定集団の代弁者となるために、民主主義を支える機構である裁判所、メディア、野党などを忌み嫌う」と、アイデンティティ政治の危険性を指摘する。

 人々が宗教や民族などにアイデンティティを求める結果として、多様化が進む社会では分断と対立が先鋭化したりする。なぜ人はアイデンティティを求めるのか。おそらく自己の存在が肯定される何かを自己の外部に求めるからだろう。民主主義社会で宗教や民族などをアイデンティティとする集団に細分化されるほど、民主主義は機能不全に見えてくる。

 米国でトランプ氏の支持層として注目されたのが、製造業が衰退した地域で暮らす中低所得の白人だ。白人というアイデンティティに、政治的・経済的に不当な扱いを受けているとの認識が加わり、アイデンティティ政治の対象となる集団として認知された。アイデンティティ政治は分断や対立を明確化させるが、民主主義に付随するものだ。人々の多様な自己主張が尊重されるのが民主主義だから。