望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

特権を得る英雄

 世界では何回もハイパーインフレが起きている。物価が大幅に上昇を続けるので高額紙幣が発行されるようになり、第一次大戦後のドイツでは100兆マルク紙幣、アルゼンチンでは100万ペソ券、ソ連崩壊後のロシアでは50万ルーブル紙幣、ユーゴスラビアでは5000億ディナール紙幣、近年では2009年にジンバブエで100兆ジンバブエ・ドル紙幣が発行された。

 当時、1枚の100兆ジンバブエ・ドル紙幣で何を買うことができたのだろうか。金額だけみると国家予算並みで、ハイパーインフレとはいえ少なくとも広大な牧場なり豪邸なりを買えそうな気もするが、実際の価値は300兆ジンバブエ・ドルで日本円1円程度だったという。ただ、記念品としては人気があり、日本では数千円で販売されているとか。

 ジンバブエ経済について「1990年代後半以降,脆弱なガバナンスと経済政策の失敗により,インフレ,失業,貧困等が続いていたが,2008年の大統領選挙を巡る混乱と過度の紙幣発行によるハイパーインフレーションによって,経済は極度に混乱した」と日本の外務省サイト。

 1980年の独立直後のジンバブエは、白人の大規模農場と黒人の小規模農業の両輪で動く安定した農業国として近隣諸国に食料輸出するほどだったが、ムガベ大統領は90年代半ばから農業に見向きもしなくなり、さらに①元解放闘争ゲリラへの無計画な高額年金支給、②コンゴへの突然の派兵、③白人大規模農場の強行接収などの失政をおかした(松本仁一『アフリカは今』)。

 強行接収した白人大規模農場は元ゲリラたちに配分されたが、元ゲリラたちは農場経営のノウハウを持たず、農場は荒廃し、食料輸出ができずに外貨が入ってこなくなり、食料自給もできなくなり、農場労働者は流民化、失業率は80%を超えた(同)。農業中心の経済構造は完全に崩壊し、インフレが始まった。

 独立前のジンバブエは白人が支配するローデシアという国で、黒人はゲリラ戦を展開、ムガベ氏は抵抗運動を組織して戦った。80年の総選挙で黒人勢力が勝利してジンバブエが成立、ムガベ氏は初代首相に就任し、大統領制に移行して以降は大統領として次第に独裁色を強めた。

 植民地からの独立闘争の英雄が、権力を握ると独裁者になることは実は珍しいことではない。抑圧されていた人々が主権や人権を求めた闘争の結果が、指導者が特権を享受するだけになる現実。英雄を政治家にすることの危険性は、様々な特権が容認されやすい面があり、その特権が独裁へとつながっていくことだ。

 植民地の枠組みを引き継いで独立したジンバブエは二つの民族からなり、この二つの民族が一つの国を形成する必然性はない。多数派民族に支えられてムガベ氏は独裁を続けた。ジンバブエが独立後に分裂していたなら、ムガベ氏の独裁もハイパーインフレもなかったかもしれない。