望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

大衆動員と大量消費

 第一次大戦は初めての総力戦だったとされる。訓練された戦士だけが遠く離れた戦場で戦う時代から、一般の人々が軍隊に動員されて戦場に次々と送り込まれる一方、空中も戦闘に利用されるようになって戦場は飛躍的に拡大、人々の日常の生活空間も戦場になり、銃後という言葉は死後になった。

 武器を大量生産することが勝敗の帰趨を決めるので国家は全ての経済力を動員するとともに、軍隊に動員されていない人々を戦時体制に積極参加させる必要が生じた。そこで、戦争の勝利という大目標に人々の目を向けさせるために、継続的に宣伝し、同調させ、異論を排除する体制を構築した。

 総力戦という戦争は、大量消費の究極の姿だろう。破壊という目的のために生産された大量の武器は使い捨てられ、継続的な補給を要求するから、大量生産を促し続ける。市場が拡大することによって大量生産が維持されるのではなく、大量消費(大量破壊と大量廃棄)により維持される大量生産である。

 総力戦には大衆動員が必要になる。民主主義(自由選挙)に基づく国家が、大衆を納得させて動員するためには、人々を密室状態に置いて情報を制限しなければならない。そして、特定の方向だけを向いた情報を与え、人々が自発的に協力するように仕向ける。強制力だけによる大衆動員には限界があるからだ。

 人々を巻き込む政治形態の一つとしてファシズムが現れた。これは、政治における総力戦体制と見ることができる。選挙を行い、そこで選ばれた政治家だけが政治に関与するのではなく、大衆を政治に巻き込むことが必要で、そのためには、大衆を熱狂させることが有効だ。

 政治に大衆動員を必要とするのは民主主義だが、ファシズムの政治においても大衆動員を必要とする。ファシズムは強権により大衆を従わせるとのイメージもあるが、実態は逆で、大衆の支持がなければファシズムは成立せず、持続させることは難しいだろう。大衆動員には大衆の自発性が欠かせないから、それを掻き立てる仕掛けが民主主義にもファシズムにも必須になる。

 大衆動員が大量消費を支え、大量生産を支えるという構造は、平時においても日常的になった。政治、経済、文化など多くの分野で、大衆に働きかけて参加や購買を促したり誘うことが一般化した。それは、あらゆるものが消費される対象になったということでもある。政治はもちろん戦争さえも大衆により「消費」される。