望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

非常事態

 国家における非常時の典型は戦時で、勝利を目指して国家権力が強権を発動し、総力戦体制を構築して生産力を統制したり人々を動員したりする。こうした非常時は国家権力への信任が問われる時でもあり、独裁的で民心から離反した国家権力が外敵に攻撃されていると人々がみなすと革命につながったりもする。

 大地震や巨大台風など大規模な災害に見舞われた時も国家的な非常時であるが、非常時そのものは時間的に限られる。短期間の非常時の後に長く続く救助活動や復旧・復興過程では国家権力が前面に出る。救助活動や復旧・復興過程は非常時が去った後なので、国家権力の強制力は日常における許容範囲に限られる。

 今回のパンデミックも非常時であり、終息の見通しがつかず長く続くかもしれない。日本以外の大半の国は非常時における国家の強制力を行使して都市を封鎖し、人々の外出や移動を制限し、商業活動を停止させたりした。だが、戦時が続くなら耐乏生活を人々に強制し続けることもできようが、感染症という目に見えない敵との戦いでは、そういつまでも非常時体制を続けることはできなかった。

 各国は徐々に人々の外出制限を緩和し、商業活動など経済活動を再開させた。だが、感染拡大の波が何度も繰り返す懸念があり、いつでも非常時の体制に戻すことができるように国家権力は備え、それを人々も想定しているようだ。

 日本政府が地域を限定したり全国に拡大したりして緊急事態宣言を行ったが、自粛の要請が主で強制ではなかったことに、非常時における国家の強制を認める諸外国から驚きの声が伝えられた。初期の緊急事態宣言では要請に応えて人々が外出を自粛し、商業活動が停止し、感染拡大の勢いは低下した。強制力の行使がなくても日本では人々の協力で諸外国と同等の効果をもたらしたように見える。

 非常時において日本政府が強権を発動できなかったのは、法体系が非常時を想定していなかったからだ。基本法である憲法戦争放棄を宣言しているのだから、戦時を想定した非常時を法で正当化できない。パンデミックを想定した法整備もなされていなかった。持続する非常時に対応する法整備がなされていないのは、日本で国家権力が暴走した過去の歴史の反省ともいえるが、都合が悪いことは起きないとする思考停止でもある。

 非常時における国家権力の強制力行使の目的は、国家を守ることだ。国家を守る=社会を守る=人々を守るという図式で強制力行使は法で正当化されるが、おとなしく従う人ばかりではない。外出禁止解除や経済活動再開を集会などで要求したり、公園や海岸などに出かけたり、パーティーに集まって飲んで騒いだりと様々な人々の様子が各国から伝えられる。国家権力の強権は非常時であっても、自由を求める人々に常に試される。