望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり





倒れた大銀杏


 鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が、根元から倒れたのは2010年3月10日。樹齢800年以上と言われる大銀杏の倒木を、源実朝を暗殺した公卿が身を隠していたという伝説とともにメディアは大きく報じた。源実朝とはどういう人物であったのかの解説があるものと期待したが……なかった。



 源実朝鎌倉幕府を開いた源頼朝の子で、第三代征夷大将軍となったが、建保7年(1219年)1月に暗殺され、子がなかったので源氏の将軍は絶えた。霊感が強かったとも伝えられるが、将軍としてよりも歌人として名が残った人物だ。金槐和歌集がある。



 源実朝歌人であることは忘れられかけているのかと、都心の大手書店で調べてみると、入手可能な書物がない。岩波文庫にあった歌集は目録から落とされ、古典文学全集の金槐和歌集の巻も品切れのまま(当時)。源実朝歌人であることに今時のメディアも気がつかなかったのかもしれない。



 源実朝の歌で有名なのは、これだろう。


 大海の磯もとどろに寄する波 われてくだけてさけて散るかも


 葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」にぴったりだと思いませんか。



 こんな歌もある。


 神といひ仏といふも世の中の人の心のほかのものかは



 鎌倉時代は各派の仏教が盛んになった時代だ。源実朝が仏教や神道にどのように関わったのかは知らないが、神や仏を冷めた目で見ていた800年前の人間の感性が、現代にも鋭いものとして立ち現れてくる印象だ。どうせ人間が考えたものじゃないかと言っている。



 神も仏も、時代の影響を受ける。いろいろな聖典が残されているが、仏陀もキリストもムハンマドも本人が書いたものは残っていない。やがて教団が形成され、時代に即した解釈がなされ、分裂を繰り返し、自分らに都合のいい教義が増えていく。神や仏は敬うものであっても、頼りにしたり、すがるものではないのかもしれない。



 源実朝は多くの歌を残している。少しだけ挙げれば次のようなものもある。


 時によりすぐれば民のなげきなり 八大竜王雨やめたまへ


 今朝みれば山も霞みて ひさかたの天の原より春は来にけり


 ながめつつ思ふもかなし 帰る雁ゆくらむかたの夕ぐれの空


 わが心いかにせよとか山吹のうつろふ花にあらし立つらむ


 秋はいぬ風に木の葉は散りはてて山さびしかる冬は来にけり