望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

機能している民主主義

 人々の自由な投票が基礎となる民主主義で、強権的な指導者や自国優先を主張するポピュリストを選出する動きが各国で相次いでいる。こうした現象に対して民主主義の機能不全を憂う論が出ているが、おそらく民主主義が機能しているから、強権的な指導者やポピュリストが選出されるのだ。

 社会に分断が存在するときに自由な選挙が実施されたなら、すでに存在する分断を反映した結果となるのは不思議ではない。主権者である人々が、人々の権利や自由よりも愛国主義民族主義、さらには偏狭な国益などを重視する候補者に投票する現象は世界で繰り返されてきた。

 なぜ、民主主義が制度化されている社会で人々は時に、民主主義に背を向けるような候補者に投票するのだろうか。おそらく、主権者であることに伴う民主主義を維持する利益や義務より個人的な利益などを優先させたり、民主主義の結果としての現実政治に「ありがたさ」を感じていないからだろう。

 人々の自由な投票が基礎となる民主主義で、その自由な投票の結果が民主主義への幻滅をもたらすのは皮肉だ。だが民主主義は国家権力に正当性を与える制度の一つにすぎず、民主主義は結果としての善政や社会の和解、統合を保証するものではない。

 人々が国家の主権者であることを確認し、国家権力を監視するのが自由選挙であり、民主主義だ。人々の間に政治や経済、社会規範などをめぐり様々な対立や分断がある場合、自由選挙はそれらを顕在化させる。それは制度としての民主主義の危機ではない。民主主義の危機とは、主権者である人々が自由選挙から排除されるときだ。

 英国は国民投票でEU離脱を決めたものの、その実現のために四苦八苦している。自由投票の結果に示された主権者の意思に現実政治が縛られて混乱している例だが、民主主義が英国で機能している姿でもある。

 様々な対立や分断が人々の間にある場合、それは自由選挙を経て現実政治に持ち込まれ、現実政治において様々な対立や分断が激しくなり、膠着状態に陥って「機能しない政治」になったりする。民主主義による現実政治は迷走するものなのかもしれない。