望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

民主主義と国民主権

 人々の自由な普通選挙により形成された議会で国家運営の方向を決定するシステムである民主主義を支えるのは、国民主権人民主権主権在民)の概念だが、民主主義と国民主権の間には緊張がある。それは、民意は常に揺れ動くが、一度形成された議会は次の選挙まで勢力構造が変わらないということだ。

 ここから、議会制民主主義より直接民主主義のほうが民意を正確に反映するという考えが出てくるが、数千万人の主権者が集まって議論することは不可能だろうし、インターネットを介して討論するとしても、議論がまとまらないであろうことは想像に難くない。直接民主主義を取り入れるとしても、国民投票制度を採用して、限定的に運用するのがせいぜいか。

 投票結果を民意と見なすことで自由な普通選挙国民投票も成り立つが、そこには主権者が、投票結果を受け入れ、共有するという前提がある。確固とした政治的な信念を持つ主権者が、自分の意に反する投票結果を受け入れないとしたなら、民主主義というシステムは成立しない。

 投票結果を受け入れない主権者にできることは、第一に、再度の普通選挙国民投票を求めるなど次の投票機会を早めるように運動する、第二に、投票結果を実力行使で覆す、第三に、沈黙する。どれを選択するかは、当人の民主主義の理解によるだろう。

 一方で、確固とした政治的な信念を持たない主権者は、何を基準として投票するのかが判別しにくく、投票結果が大きく揺れ動くことは珍しくない。民意は常に揺れ動いているもので、その時々の民意しか投票結果は示すことができないのだろう。だが、投票後に民意が変化すると、先の投票結果が民意に反したものに見えてきたりし、それも民主主義と国民主権の緊張を招く。

 別の問題もある。確固とした政治的な信念を持たない主権者や情緒的に煽られた主権者が多数を占めている時には、投票結果に現れた民意が「正しい」とは限らないことだ。もちろん「正しさ」は立場により様々だが、議会や法の支配、人権などを軽視する人々に権力を委ねたことがある各国の民主主義の歴史を振り返ると、国民主権だから民主主義が機能するとは言い難い。

 だが、民主主義と国民主権に緊張があるのは、憂うべきことではなく、人々が国民主権を確保しているからだ。主権者である人々が国民主権を放棄したならば、独裁者などの新たな主権者が民主主義を放棄するだろう。片方が放棄されれば国民主権も民主主義も失われるのだとすれば、民主主義と国民主権に緊張があるのは双方ともに機能している証しである。