望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

注目されます

 最近のNHKラジオのニュースを聞いていると、外国の出来事を伝えたニュースなどの結びの言葉として「注目されます」が多用されている。注目される出来事だからニュースとしての価値を有する。「注目される」のは今後の動向のことだろうが、わざわざ加える必要はない言葉だ。

 この「注目されます」という結びの言葉は、注目されるニュースだと念押ししているようだが、実際は以前から使われてきた決まり文句だ。「注目されます」と述べたところで、そのニュースに対する大半の聴取者の関心が高まることはないだろうから、無意味な言葉(表現)だ。

 ニュースの送り手(NHK)は、注目せよと聞き手に注意を促しているわけではなく、無難な締め言葉として使っているのだろう。だが、国内のニュースを報じた最後に「注目されます」は使われないので、記者自身の取材が希薄なことをNHK内で識別するための記号として「注目されます」を加えているのではないかと勘ぐりたくなる。

 「注目されます」で締めるニュースは、取材した記者の言い訳なのかもしれない。外国でネタ元が現地メディア程度しかないという記者が、ニュースを送れという日本の本社からの要求に応えようと頑張って現地のテレビなどが報じることをまとめて記事に仕立てたが、独自の情報が希薄なので、つい「注目されます」と結んでしまう。

 全てのニュースは作られるものだ。どんな出来事でも、気づかれなかったり無視されたりして記者が報じず、メディア各社も記者に記事を要求しなければ、この世にニュースとして現れない。例えば、アフリカで数十人が死んでも日本人が含まれていなければ日本ではニュースにならず、紛争や自然災害などで外国で数十人規模の犠牲者が出ることは珍しくないが、日本が関係していなければニュースになることは少ない。

 記者が取材しない出来事はニュースにならないのは国内でも同じ。逆にいうと、ニュースに仕立てたい出来事を各社は記者に取材させる。最近の例では、あおり運転など路上のトラブルや高齢者が関わる交通事故などがある。記者に取材させ、発掘された様々な事例がニュースとして多く報じられると、問題が蔓延しているような雰囲気になったりする。

 事実だけを伝えるはずのニュースで、「注目されます」などとニュースの価値判断を急に聴取者など受け手に押し付けるのは、報道機関としての衰弱を示すものだ。NHKは災害報道などでは存在感を発揮するが、通常のニュースには妙な「印象操作」が紛れ込む。