望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

民主主義って有効か

 こんなコラムを2004年に書いていました。

 ブッシュ政権は、大量破壊兵器イラクが隠し持っているとしてイラク攻撃を始め、多数のイラク人を死傷させたが、大量破壊兵器なるものは見つからなかった。そこで、民主主義をイラクにもたらすことで世界(アメリカ)はより安全になると説明を変え、イラク攻撃を正当化した。しかし、アメリカがイラクで現在行っている行為は民主主義の実践といえるものだろうか。

 民主主義の理念が正しいと仮定しても、(1)民主主義を他人に強制できるのか、(2)民主主義を実現するために非民主主義的な手法も容認されるのかーなどの問題があり、まさにアメリカのイラク攻撃はそれらの問題を世界に突き付けた。

 民主主義とは、主権者である人々が政治のあり方・方向性を自ら決める政治制度である。イラクにあてはめるなら、フセイン独裁を中止するのか、その後の政治体制をどうするのかはイラク人自らが決めることである。現実には、イラク人の手でフセイン独裁を打倒することは困難だった。非民主主義政権や独裁政権を打倒するには武力も必要になる時があろう。しかし、その場合でも民衆が主体になることにより、「解放」後の民主主義確立につながる。アメリカは、フセインという「共通の敵」がありながら、イラクの人々と共同戦線を構築できなかった。

 一方では民主主義には、非民主主義的人物を選挙で当選させ、権力を持たせてしまうというジレンマもある。ヒトラーも最初は選挙で選ばれたし、サウジアラビアで自由選挙が行われたとしたならウサマ・ビンラーディンが当選する(立候補できたとして)とも言われ、中東全域で自由選挙が行われたならイスラム原理主義政党が各国で勝利するのは間違いないだろう。

 また、絶対者である神を信じている人々が、「神の意」に反する投票結果をもたらすこともある政教分離の民主主義を尊重するのかという問題や、主体的に主体性を放棄する人々(支配されたがる人々)が民主主義を空洞化させるという問題もある。しかし、民主主義が、最善ではないだろうが、歴史的によりベターな政治手法として広まって来たことも確かである。つまりは主権者である人々の意識と行動次第で、民主主義は「使える」制度になり得る。