望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

映画と戦争

 複雑な民族構成だったユーゴスラビアで、連邦を構成する共和国などが独立する過程で複数の戦争が行われた。独立を正当化するために持ち出されたのが民族自決だが、ある民族の自決の主張は他の民族の反発と民族意識の覚醒を生じさせ、妥協の余地を狭める。民族意識が権力闘争を正当化するために持ち出されるのは世界でよくあることだ。

 仲良く共に暮らしていた人々の中に、民族意識を刺激されて民族意識を強めた人々が現れ、やがて「彼らと我々」を峻別するようになり、摩擦や対立が広がるにつれ、「敵と味方」との意識に発展し、多くの民族が共生していた社会が分裂に向かう。分裂の過程で武力衝突を繰り返し、殺し合ったのがユーゴスラビアだった。

 人々が共生していた社会が分裂し、崩壊していく状況を見ていた人々の中には民族主義と距離を置く人もいて、崩壊する社会を複雑な思いで見ていただろう。民族主義の論理を用いずに当時の混乱を見ると、「なぜなんだ?」との疑問が次々に湧き出てきて、そうした疑問に創作意欲を刺激された映画人が少なからず存在していたらしく、ユーゴスラビア解体は多くの映画を誕生させた。

 例えば、「アンダーグラウンド」「ユリシーズの瞳」「ブコバルに手紙は届かない」「ビフォア・ザ・レイン」「戦場のジャーナリスト」「パーフェクト・サークル」「ボスニア」「ノー・マンズ・ランド」「灼熱」「バルカン・クライシス」など20本以上の作品が残る。

 それぞれに人々と戦争との関わりを描き、物語の中に取り込んだ戦争を記録することを意図した映画だと解釈できる。ところが、「アンダーグラウンド」はやや趣を異にし、現実の戦争を再構築して、おとぎ話のような架空の歴史物語で現実の戦争を表現した映画だ。ユーゴスラビアの形成から崩壊までを地下世界で生きる人々で描き、地下世界から脱出した人々が直面した世界が現実の戦争で、一気に現実の世界に投げ込まれる。

 戦争では交戦する側がそれぞれに正義を掲げ、やがて勝った側の主張が正義だったとして歴史に刻まれる。だが、ユーゴスラビアの解体過程に行われた複数の戦争では複数の正義が主張され、どちらかの無条件降伏といった結末には至らなかったこともあり、複数の正義の主張が残っている(西欧主導の世界ではセルビアが敗者とされ、その主張は否定の対象になるが)。

 映画「アンダーグラウンド」は、連邦国家としてのユーグスラビアのレクイエムである。どの戦闘主体の側にも与せず、ユーゴスラビアの解体に進む戦争の過酷さを寓話として描くことで、ユーゴスラビアの歴史と解体を物語として記録した。戦争を記録するならドキュメンタリーの手法が適するだろうが、戦争を記憶するためには物語として再構築する手法があり、それで傑作と評される作品を作ることもできるのだと示した。