望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

女遊びと性加害

 アラカンこと嵐寛寿郎は、「鞍馬天狗」「むっつり右門」の2大シリーズの主役を務め、脇役に回った晩年は鬼虎を演じて評判となった大スターだ。「50年も役者やってきて、胸を張っていえることなど、かけらもおまへんけどな。お客を楽しませてきた、これだけはまちがいのないことダ」と庶民に支持されてきたことを喜ぶ(『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』竹中労著。以下の引用も同書から)。

 「月給千円くれよった、たちまち芸者遊びです、ハメがはずれた」という二十代の頃は、小唄を習いに「三味線弾かせて、さしむかいの稽古、個人教授というやっちゃ。へえ毎晩ダ。撮影終わったらまっすぐ祇園先斗町・宮川筋や、そら熱心なものやった」「月給千円や、つかいでがありました、そのころ祇園の芸妓を根引きにしても1ヵ月三百円」。

 「けっきょく寝る女でも、手つづきがおますわな、そこがウデとこうなる」「スケベイと好色とはちがうんですわ。千人斬りようせなんダ。まあ道草が多かったということやね、ワテの色の道は」「十人の女と1ぺんづつするよりも、1人の女と心ゆくまで十ぺんするのがよろしい、それがわかるには三年早かった」。

 「モテました。モテすぎた、役者が人気とるゆうことはこれやなと、まあはっきりいえば、タダでしようと思えば、オメコいくらでもでける、それが人気の正体ダ」「世間の目がこわくって、四畳半専門や。金でカタがつく水商売の女しか相手にしなかった、という人もおますやろな。それもある。ワテは臆病な人間です、後くされ、ご免や」

 「女に家建ててやる、着物買うてやる、貯金通帳持たせる、別れるときにはそっくりくれてやって、カマドの灰まで渡して、おのれは身一つで出る。そのくりかえしや」「鞍馬天狗むっつり右門、コワモテの二枚目が、女と財産とりあい、できまっかいな」

 「祇園の芸妓総揚げにした」阪妻など大スターの女遊びに寛容だった時代があったが、時代は変わった。変わったのは、クロウトとシロウトの境目が曖昧になり、 芸者衆は減り、キャバクラ嬢が増えるなど芸人の遊び相手が変わるとともに、お茶屋遊びからホテルへと芸人の女遊びの場所も変わった。芸人はシロウトを相手に女遊びするようになり、それをネタとするメディアも増えた。

 女遊びと性加害の境目は曖昧だ。性交渉について何らかの同意が相手と成立しているなら女遊びで、女の意思に少しでも反することがあって何らかの強制を伴う性交渉が行われた場合が性加害か。何らかの同意とは恋愛感情の共有であったり金銭など何らかの対価の授受であったり様々だろう。人気商売の芸人が盛んに女遊びをすることは昔も今も変わらないが、シロウトを相手にする芸人は地雷原を進んでいるとの覚悟が必要かもしれない。