望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

科学的な思考

 科学者は、あらゆる事柄に対して常に科学的な思考を行っているわけではないということを加藤周一氏は分かりやすく説明している。加藤氏の発言を収録した『居酒屋の加藤周一』から引用する。

「『科学者はだまされない』というのは一種の迷信です。ある意味では、科学者の方が騙しやすいのです。何しろ、少ない情報から本質を推定したり、事実の断片を繋ぎ合わせて全時系列を頭に描いたりするのが得意ですから、逆に言うと思い込みに陥りやすいのです」

 思い込みに陥りやすい科学者が自尊心の高い人だったなら、科学者ではない人々の言うことを軽んじたり、無視したりするだろう。そこに、社会に対して説明責任を果たさない科学者が、一方的な発言に終始したりする遠因がありそうだ。

「科学技術が発達すればするほど専門化が徹底します。専門領域については科学的思考をするわけですが、極度に専門化した自分の領域を外れたら、自分の専門領域での、ものの考え方を他の領域に及ぼさないんです。
 専門化ということは、隣の領域は隣の領域で複雑で、それをやっている人以外にはなかなか分からないということを意味しますから、分かるのが容易でないということも絡んできて、自分の専門領域での思考の形式が、他のことを考えるときに作動しないんです。
 その意味では、科学技術者もそんなに摩訶不思議なものではなくて、自分の専門領域以外では全然、科学者でない人と同じ、ほとんど大抵の場合がそうです。
 つまり科学者であって自分の科学的な考えをいろんな面で応用するという人が少なくなってきている。科学技術が発達すればするほど、むしろ非科学的なものが栄える一つの理由です」

「人間は思ったより騙されやすいのです。ほどほどに理性的な心の働きが備わってくると、対象物の属性のごく一部の情報から勝手にその物の本性を推定するとか、目の前で時系列的に起こった一連の事実の断片を自分が理解しやすいように勝手に繋ぎあわせて解釈するといった『思い込み』が出てくるために、手品師の付け入る余地が出てきます。
 人間にほどほど理性的な心の働きがあるゆえに実は騙されるというと、やや逆説的に聞こえるかもしれません。理性は騙されないための心の砦だと思っていたら、どうも逆の面もある」

 科学者も自分の専門領域のほかの事柄に対しては、様々な思い込みを持ち、そうした思い込みに思考は影響されているだろう。問題は、科学者が専門外の領域について発言するときに、それは科学的に正確なのか、1人の人間の感想なのかが曖昧になることだろう。その曖昧さは科学者の発言を聞く側に、科学者の言うことは全て客観的で理性的だとの誤解をもたらす。