望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

豊かな奴隷のパラドクス

 近現代において初めて、市民的な自由を伴わずに、専制支配下で総じて人々が豊かになったのが中国だ。中世のころの中国は産業が発展して栄えていて、当時の中国は欧州よりも経済が発展していたとされる。だが、その後は停滞が長く続き、自力での産業革命はなされず、自由を求める人々による市民革命もなかった。

 中世において王侯貴族の支配下で繁栄した国はあったが、支配下にある大多数の人々が豊かであったとはいえない。だが人々は支配されて貧しいままに置かれることに不満を持ち、やがてフランス革命などにつながり、社会を改革して社会の主人が人々である体制を実現した。それが自由な経済活動を刺激し、経済の発展につながった国もある。

 王侯貴族の専制支配を覆して主権を人々が確保した近現代では、「経済は資本主義、政治は民主主義」に移行した欧州の国々がまず繁栄した。ドイツや日本など全体主義専制支配の国々は争いに敗れて、「経済は資本主義、政治は民主主義」へと移行した。近現代において多くの人々が豊かさを享受したのは「経済は資本主義、政治は民主主義」体制の諸国であった。

 個人の自由と豊かさを実現したのが、民主主義であり資本主義であった。国家の主権者となった人々が、自由を求めることを保証するシステムが民主主義であり、人権が保証されて個人が自由を求めることが確保された。また、資本主義的な自由のなかで個人が豊かさを求めることが社会的に制度化された。

 現代の中国は国家統制の手綱を維持しながら資本主義経済に移行して、外国資本の投資を呼び込み、最新の技術も外国から導入し、膨大な低賃金労働者を活用して産業を発展させ、世界的な輸出基地となり、目覚ましい経済発展を遂げた。総じて国民は豊かになったが、国内での貧富の格差は相当あると言われる(これは欧米諸国も同様なので、制約を少なくすると資本主義は強者の総取りに向かうのだろう)。

 総じて人々が豊かになった中国では個人の自由は制限されている。自由を求める人々が存在することは、厳しい統制にもかかわらず時折伝えられる人々の抗議行動から察することができるが、それが改革につながることはなく、封じ込められる。中国社会の主人を政府(=共産党)とすると、人々は豊かになった奴隷とも映る。自由を求めない奴隷というパラドクスは豊かさに担保される。

 資本主義と民主主義が近代国家の基本という西欧由来の国家観を中国は覆した。豊かさがあれば人々は自由が制限されても、おとなしく政府に従うのであれば、民主主義は必要ではなく、「政治は専制支配、経済は資本主義」でいいとなる。個人が自由と豊かさを求め、それを制度として保証するという西欧型の近代国家像を中国は打ち砕いた。経済発展が遅れていて民主主義が定着していない国々にとっては中国型の発展モデルは現実的なものと映るだろう。