望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

欧米主導の世界秩序

 1989年11月9日の夜、ドイツを東西に隔てていたベルリンの壁が人々の手により崩され、同年12月22日にルーマニアチャウシェスクの独裁統治が人々により打倒された。人々の自由などを求める動きは活発化し、東欧諸国は次々と体制転換を余儀なくされ、民主主義を基本とする体制へと移行した。

 ソ連も1991年12月に崩壊してロシアへと移行した。当時の中国は1989年6月の天安門事件を経て経済開放路線のもと、経済の急成長を続けていて、「豊かになれば民主化する」との期待が西側で広がっていた。共産主義諸国の相次ぐ体制崩壊で「人々には自由。政治は民主主義」という欧米由来の国家体制が体制間の競争に勝利したとの楽観論も現れた。

 当時、「人々には自由。政治は民主主義。経済は資本主義」という欧米由来の国家体制の国以外に、豊かで政治的に安定している国はなく、米国などが「人々には自由。政治は民主主義。経済は資本主義」は普遍的であるとの主張を声高に続けていることなどもあってか、冷戦後の世界は欧米由来の価値観一色で塗られるとの見通しさえ出ていた。

 現在の世界は、中国が世界2位の経済大国になるとともに欧米の価値観を批判しつつ独自の価値観の主張を始め、一度は民主主義国に移行したロシアは権威主義の国家に先祖返りし、中東やアフリカなどの多くの破綻国家で武装勢力が権力を掌握するなど「人々には自由。政治は民主主義」に反する国家が続々と現れている。

 これらの現象が示すのは世界構造の大きな転換期だということだ。民主主義や自由、人権など西欧由来の価値観が普遍性を持たないという現実の中で、民主主義や自由、人権など西欧由来の主張が相対視され、「そういう考えもあるんだね」程度に冷ややかに見られる世界になったとも見える。民主主義などを掲げる欧米諸国の、それらを都合よく使い分ける二重基準の欺瞞性が明らかになり、普遍性だとの主張に説得力がなくなった結果でもあろう。

 政権の正当性に民主主義を装うことが必須だと考えられていた時代は冷戦終了後、長く続いたが、権威主義や独裁でも国家は成立し、中国のように豊かにもなることができると実証された。これは「人々には自由。政治は民主主義」が普遍的だとの欧米主導の世界秩序形成が崩壊し始めたことを示す。欧米主導の世界秩序が欧米に有利な構造であることに対する不満を各国が隠さなくなったともいえる。

 だが、欧米主導の世界秩序に代わる世界秩序の姿は見えず、諸国が対立し、時には武力をも辞さずに争う混乱の世界が現れてきた。自由や人権、民主主義などの理念に普遍性はあるのだが、世界の現実政治の中でその普遍性は色褪せた。各国が自己主張するだけの無秩序の世界では弱肉強食が基本となろう。もう一度、自由や人権、民主主義などの理念が普遍性を獲得するには、例えば、諸国を巻き込んだ大規模な戦争の惨禍を人類が体験する行程を経る必要があるのかもしれない。