望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

ユートピア

 モンテスキューの『ペルシア人の手紙』の第10番目の書簡から第14番目に至る部分(古代人がエチオピア沿岸に住んでいると信じていたトログロディート人の話)について渡辺一夫氏は次のように述べる(『風刺文学とユートピア』=加藤周一氏との対談。1966年。一部修正あり)。

「トログロディート人は法も社会もない生活をして、利己主義だけで生きている間は悲惨事が続き、滅亡しかけた。しかし、次に素朴な共和制となり、正しい個人主義に目覚めて、やがて社会連帯とか相互扶助などの考えを持つようになり、社会理念と法とによって生き、幸福で繁栄した国をつくるようになった。ここいらにモンテスキューユートピア思想のようなものを感じる」
「その次の段階になると、人々は自分たちの幸福繁栄を当たり前なものと感ずるようになったばかりか、自分たちが自ら考えて、自分たちの生活を正しく美しく善くする努力を払うのが面倒になってくる。つまり、法を生かして使ったり、生きた法を考え出したりするよりも、誰か王様のような人から命令されて動くほうがはるかに楽だと思うようになった」
「そこで人々は、この国の平安を刻苦して作り上げてきた人々の生き残りの老人に向かって、王様になって自分たちに命令してくれ、そのほうがどれだけ楽か判らないと頼んだ。老人はびっくりするとともに、たいへん悲しみ、自分が死んで皆の先祖に再び会った時に、皆がそんな情けない心根になったことを告げたら、どんなに憤慨もし、悲嘆にくれもするだろうと、泣きながら話した」

 渡辺氏は「人間が自分たちの幸福のために苦心して作ったものを使いこなせなくなり、その奴隷になって、そこに幸福を求めようと望むようになったら、変なことになると教えてくれる。ユートピア人間性の必然的な動向から破局へ進んでゆくことをモンテスキューは描こうとしていた」とする。

 トログロディート人の話からは、民主主義や法の支配や個人の権利などが制度として存在しても、人々が使いこなすことができなくなると空洞化し、命令されることを人々が望むようになったら機能しなくなることを連想させる。皆が豊かになることが「自分たちが自ら考えて、自分たちの生活を正しく美しく善くする努力を払うのが面倒になる」ことにつながるとすれば、豊かさの社会的な弊害だろう。

 ユートピアは今では「理想郷」「空想的社会」あるいは「どこにも存在しない場所」などの意味で使われる。だが、個人にとってのユートピアは実在することもあろう。大金持ちにとっては現実社会はユートピアに近いだろうし、支配されることに満足する奴隷のユートピア(=奴隷の幸福)もあるかもしれない。王様を得たトログロディート人は奴隷のユートピアに満足するのかな。