望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

権利の主張

 最近、日本のマスメディアでもよく取り上げられる言葉に「LGBTQ」がある。これは性的マイノリティ(性的少数者)を表す総称で、Lesbian(レズビアン=女性同性愛者)、Gay(ゲイ=男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル=同性も異性も対象にする両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー=体の性と心の性が異なる人)、QueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング=性的指向性自認が定まっていない人)の頭文字を並べた言葉だ。

 性的少数者の権利主張に「寄り添う」日本のマスメディアだが、これは欧米メディアの影響と見える。欧米メディアがLGBTQの権利主張を肯定的に取り上げ、それが世界の潮流になったと見えたのか、日本のマスメディアは追随している光景だ。性的少数者の権利主張が無視されるよりも現状は歓迎すべき状況といえようが、流行りのネタを追っているだけと見えなくもない。

 LGBTQとひとまとめにされるが、LGBは性交渉の対象が異性に限られるとの「常識」に反する人たちであり、TQは性自認に問題をかかえる人たちである。LGBの人たちは同性を対象とする性行為と婚姻などの社会的な認知を求め、TQの人たちは肉体的な性に拘束されないことを求めている。それぞれは社会的な少数者だが、性別と性行為などにも多様性を求める主張で共闘する。

 これまでLGBTQの人たちが少数者とされたのは、性別は天与のものであり、異性間の性交渉により子を産んで子孫をつないでいくとの「常識」が強固だったからだ。その「常識」は自然なものと受け止められ、様々な宗教では異性間の婚姻は祝福されたが同性愛などは異端とされ、LGBTQの人たちは社会でひっそりと生きざるを得なかった。

 欧米でLGBTQの人たちの権利主張の動きが活発化しているのは、キリスト教の影響力が衰えていることも関係している。教会の聖職者による過去の性加害が各国で暴かれ、周囲の関係者が見ぬふりを続けてきたことも明らかになり、教会の権威は失墜した。皮肉にも聖職者に同性愛者などが珍しくなかったことが暴かれ、キリスト教の影響力が衰えるにつれ、LGBTQの権利主張が活発化した。

 一方、イスラム教圏では同性愛は現在でもタブーとされ、イスラム国などの宗教過激派がかつて支配地で同性愛者を殺害したことが報じられるなど、厳しい状況にLGBTQは置かれている。ロシアでは「非伝統的な性関係」に関する情報の流布は制限され、LGBTを肯定的に表現した広告や書籍、映画が禁止されるなどLGBTQは社会の安定を損なうと、その権利主張が封じ込められる。

 LGBTQの権利の主張は性愛や性別などと密接に関係するだけに特殊なものと受け止められやすいが、少数者が権利を主張し、社会的な容認を求めている行動である。この社会の多様性はどこまで拡大するのか、この社会の寛容さは少数者をどこまで包摂できるのかが問われている(もちろん、少数者の主張に異議を唱え、そうした権利に反対する権利は誰にでもあり、議論できる社会であることも試されている)。