望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

宗教と現世

 神や仏など現世を超越する価値を掲げる宗教が活動するのは現世である。現世で苦しみや悩みを抱えている人々に対して、そうした宗教は神や仏を信心することで心の平安を得ることができたり、来世における救いが期待できることなどを説いたり、さらには来世における裁きの厳しさを説いて「正しく」生きることを説いたりする。

 現世で苦しみ悩む人々に対して、超越的な価値を掲げる宗教ができることは限られる。現世の問題に対応するのは政府や自治体など政治の役割であろう。とはいえ、ホームレスの人々に対して米国では支援活動を行うキリスト教系団体もあるというが、そうした活動を日本で仏教や神道系の団体が積極的に行っているというニュースは見かけない。

 巨大な寺院や教団施設を誇る宗教団体には相応の経済力があるだろうから、苦しんでいる人々の一時避難所を各地に構築することはできそうだが、そうした動きは見えない。超越的な価値をいくら掲げたところで、現世で苦しみ悩む人々を救うことはできないと自覚しているから何もせず、超越的な価値を説くにとどめている気配だ。

 現世で苦しみ悩む人々が来世を信じなければ、超越的な価値を掲げる宗教にできることはない。そこに、現世利益をもたらすと主張する新興宗教が活動する余地があるのだが、新興宗教が、例えば、ホームレスの人々の支援を積極的に行うわけでもなく、行政などに働きかけるのは影響力行使や自己利益確保が目的だと見える。

 日本では仏教が一大勢力で全国各地に寺院は多くあるが、熱心な信者はそう多くはないようだ。超越的な価値を掲げる宗教が日本で限定的な影響力しか持つことができないことについて、加藤周一氏は「日本のシステムのなかには正義の観念がない。神道は浄いと穢れだが、それは正義じゃないんですね。仏教も曖昧で、何が正義かということがなく、正義の観念がない」(「日本禅の世界」=『加藤周一対話集①』所収。一部修正。以下同)。

 「一般化すれば、どういう価値に日本人はコミットしているのかということです。この点は動かせないという全体的な価値、どういう価値の根拠があるのか」が分かりにくいと加藤氏は続け、「鎌倉仏教は、それぞれ別のものにコミットした。道元道元の絶対的な真理にコミットしていた。日蓮日蓮法華経にコミットしたし、浄土宗は浄土三部経、つまるところ阿弥陀にコミットしていたわけでしょう。鎌倉仏教は日本史上の非常に偉大なる例外だ」とする。

 日本文化の形成に仏教は影響を与えたが、現世における価値観に与えた影響は限定的だ。仏教の超越的な価値は日本では来世のことと限定され、現世との関わりは希薄になった。仏教が現世に関わるのは、例えば、平安や安寧などを祈るだけであれば、現世における影響力も限られるのは当然だろう。来世における救済という物語が色褪せるとともに、宗教が掲げる超越的な価値も色褪せる。