望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

全能感と脆さ

 なんでも自分の思う通りにでき、批判されることは少なく、むしろ称賛されるばかりで、崇拝者らが集まってきて周囲を固めているという人物。そうした人物が、現代ではパワハラやセクハラと見なされる行為を繰り返してきたことが明るみに出て、世間の批判に晒される事例は珍しくない。隠されていた「悪行」が暴かれた形だが、知る人ぞ知る「悪行」だったりもする。

 そうしたパワハラやセクハラが隠蔽されてきたのは、優越的な地位にある人物の行為を周囲が諌めることも告発することもせず、むしろ迎合するような人たちが周囲を取り巻いていたからだろう。パワハラやセクハラの被害者であると同時に共犯者でもあった人たちが周囲を取り巻いているなら、そうしたパワハラやセクハラは続く。

 優越的な地位にある人物が支配する組織や集団でパワハラやセクハラを許す環境が形成されると、秘密の共有が成員に求められる。他人の「悪行」の秘密を共有した人々は、社会に対して閉鎖的になる(それが秘密を共有した人々の組織や集団における自己防衛策となる)。社会の規範とは別の規範が形成された組織や集団では、支配する人物の意向がルールとなり、そのルールに従わない人は追放される。

 そうした「悪行」が暴かれた時に、優越的な地位にあった人物の反応は、批判を受け入れるか反発するか無視するかに分かれ、対応は①世間に対して謝罪する、②自己の行為を弁明し、時には正当化する、③沈黙を続けるーとなる。批判されることに弱い人物なら、隠されていた「悪行」が世間に晒されて狼狽し、適切な責任の取り方を行うことができない恐れがある。

 組織や集団に君臨する人物は内部の批判者を追い出すことで優越的な地位を維持し続け、批判されることに真摯に向き合う習慣がなかったりする。そうした人物が社会からの批判に直面したときに、適切な助言者が周囲にいれば、謝罪を表明して謹慎するポーズを装うことができるだろうが、迎合して秘密を共有する人たちだけが周囲にいる時には批判に対して混乱するばかりだ。

 集団や組織に君臨する人物は全能感めいたものを持っているだろうが、そうした全能感は自分の力では抑えることができない外部からの批判には脆い。なんでも思いのままにできるとの全能感が閉鎖的な集団や組織の中でだけ通用するものであったなら、全能感の喪失は優越的な地位が崩壊したとの意識につながったりもする。

 全能感を喪失した時に人は「素」に戻る。性質として打たれ強さを持っている人なら優越的な地位を失ったとしても立ち直ることができようが、打たれ弱い人が「素」に戻ると喪失感に圧倒されるかもしれない。喪失感に圧倒された人物が世を捨てて出家するというのは「熊谷陣屋」など歴史物語にはよくある話だが、現代では仏教信仰も形骸化しているようで、世を捨てて出家するという選択肢はマレか。