望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

二重の所属

 人は様々な集団を形成したり、集団に所属したり帰属したりして生きる。最小単位は家庭で、収入を得るために会社などの組織に所属し、スポーツクラブや趣味サークルなどに属し、人によっては政治組織に所属する人もいるだろう。属していると意識する最大の集団は国家かもしれない(もっと大きな人類意識を持つ人もいよう)。

 集団と個人の関係は多様だ。集団は属している個人に義務と責任を負わせたりするが、個人も集団に影響を与え、集団を変化させることができる(個人の力が弱すぎたり、個人が集団に無関心であれば、集団から一方的な義務と責任を求められたりするので、集団の圧力ばかりを感じることになる)。

 集団が個人を強く束縛する場合もあれば、緩い束縛もある。その違いは集団の性格により異なるが、集団と個人の関係にもよる。所属意識が強い個人なら強い束縛は気にならないかもしれないが、自立心が強い個人なら強い束縛を圧迫と感じよう。集団と集団の利害が対立することも珍しくなく、例えば、企業は社員に家庭生活より会社を優先することを求め、遅くまで毎日残業し、休日にも出社する人がいる。

 様々な集団に人は属するといっても、同じ性質の集団で2つ、3つと複数に属することは忌避すべきとされる。例えば、正式に結婚した相手がいる家庭の他に家庭を持ったり、会社勤めをしながら他の会社の社員になって仕事をしたり、与党の党員になりながら野党の党員にもなるなど、そうした行為が明るみに出たなら批判されよう。

 同じ性質の集団には一カ所にしか属さない……というのは原則ではない。スポーツクラブや趣味サークルなどなら複数に属することは個人の裁量に任されるだろうし、社員の副業を容認する企業もある。問題視されるのは、利害が対立する可能性がある複数の集団に同時に属するケースだ。例えば、国籍。

 全ての国が民主主義や個人の自由・権利を尊重して平和に共存する世界なら、二重国籍は問題にならないかもしれない。だが現実は、強権で国内を抑え込み、対外的な勢力拡張のために軍事行動をちらつかせる国があちこちに存在する。そうした国には、外国に居住する自国の国籍保持者にも自国への忠誠を求め、自国からの指示に従って“愛国”的な行動を居住国でも行うように定めているところもある。そんな指示に従わない人もいれば、従う人もいるだろう。

 欧州のように国境を越える人の移動が活発だったり、度重なる戦争で国境が揺れ動いた地域や、南北アメリカなど移民で国家を形成したところでは歴史的にも二重国籍を容認しやすいだろう。日本のように、国境を越えての人の移住が活発ではない歴史を持つ国では、二重国籍は特別な問題となる。欧米を見習えば良いという安易な発想では片付かない問題だろう。