望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

動物農場

 馬や牛、豚、羊、鶏、犬など農場の動物たちが、懸命に働いているのに収穫は人間のものとなる一方で、鞭打たれたり、産んだ子供を売られたり、卵を産んだり乳を出すことを強制されることが不満だと意識し始め、怠惰な農場経営をする農場主らを追い出し、動物たちで自主管理を始めたというのが『動物牧場』(英ジョージ・オーウェル著)。

 動物たちは同志と呼び合い、各自は能力に応じて働き、怠けるものはおらず、自分たちの食べ物は自分たちの力でつくりだし、人間に奪われずに収穫は皆で分かち合うので、食べることができる量が増えた。余暇時間が増え、日曜日には仕事はなく、全体集会で動物共和国の連帯を確かめ合った。動物の楽園が誕生した……はずだった。

 搾取され虐げられているものたちが反乱に立ち上がり、寄生している連中を追い出して、働くものたちで自主管理して、能力に応じて働き・必要に応じて受け取る共同体を構築するというのは一種のユートピアだろう。現実には存在しないものがユートピアとされるが、反乱が成功して高揚感に満ちたのなら、常に変化する世界で一瞬だけ現れるのがユートピアなのかもしれない。

 この小説は第2次大戦中に書かれたが、複数の大手出版社からは出版を断られて難航、やっと1945年8月に出版された。難航したのは、モデルが当時のソ連だったから。第二次大戦中の英国にとってソ連は共にドイツと戦う同盟国であり、また英国の知識人にソ連へのシンパシーを持つ人が珍しくなかったこともあって、ソ連が持つ負の側面に目を向けることが忌避されたのだろう。

 ところが、出版されるとベストセラーになった。活字に飢えていた時代背景もあるが、終戦とともに、ドイツなど共通の敵がなくなったことにより米ソによる世界覇権を巡る対立が高まり、冷戦体制が始まった。大量粛清など過酷なソ連の実態が西側でも広く知られるようになり、労働者の理想の国家とのイメージは覆され、この小説に描かれた社会が現実感を持って読者に受け止められたのだろう。

 ソ連が崩壊し、共産主義社会が現実には実現不可能なユートピアであることが明らかになった現在でも、この小説は読み継がれている。それは、全体主義のスローガンであれ民主主義のスローガンであれ、大多数の人々が社会の潮流に合わせて唱和し追従するような、動物農場と似た社会に人が生きているからだろう。

 異論を唱えるものは、全体主義社会では粛清され、民主主義社会では批判されたり無視されるが殺されはしないところが異なる程度で、社会の方向性に人が制約されることに基本的な違いはない。権力からの強制があれば、大多数は従うと歴史が明らかにしている。抑圧構造は人間社会につきものだから、この小説が読まれ続けるのだろう。

 ソ連が崩壊した後にも、この小説に現実感があるのは、北朝鮮や中国などの全体主義国家が健在だからだ。北朝鮮や中国をイメージしながら読むと、この小説は一層強烈な皮肉となり、かの国の体制擁護の「愛国者」の姿が、動物農場の登場動物とダブって見えてくる。