望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

外国メディアに従う人たち

 クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で新型コロナウイルスの集団感染が起き、日本政府の対応が失敗したと欧米メディアが批判した。それを日本のメディアも大きく報じ、すぐに日本でも政府の対応を批判する声が高まった。それらの批判の多くは欧米メデイアに追従しているだけのように見えた。

 集団感染が起きたのだから日本政府の対応について批判されるのは当然だろうし、詳しく検証して反省点を今後の対応策に生かさなければならない。だが、欧米メディアが現場で日本政府の対応を綿密に取材して、独自の新しい情報を日本メディアより多く持っていたとも思われない。

 なぜ日本メディアなどは欧米メディアに追従しているように見えるのか。それは、欧米メディアの批判を紹介し、引用するだけで、日本メディアなどが独自の視点で批判することを行っていないからだろう。欧米メディアが示したのは新しい事実ではなく日本政府を批判する観点であったとすると、日本政府を批判したがっているが手掛かりに乏しい(?)メディアなどが追従するのは当然か。

 欧米メディアの指摘や主張が常に正しいわけではなかろうから、外国メディアの記事や主張を日本メディアが紹介・引用するには、①事実関係に誤りがない、②事実認識に偏りがない、③主張に応分の妥当性がある、などの検証が必要だ。だが、それらを検証した上で日本メディアが紹介・引用している気配は希薄だ。

 日本政府の対応を批判するときに日本メディアなどが外国メディアの批判を紹介・引用することは多い。その理由は、第一に、批判する独自の視点・言葉を持たないか希薄、第二に、欧米メディアを盾にして政府などの反発から身を守る、第三に、欧米メディアを崇めて自己の基準にしている、などが考えられる。

 「人のふんどしで相撲を取る」とか「虎の威を借る狐」「尻馬に乗る」などの言葉が思い浮かぶ。欧米メディアの日本政府批判に日本メディアなどが追従しているように見える光景は、日本メディアの価値を損ねている。日本メディアの国際的な影響力は限られているのが現実だろうが、欧米メディアに付和雷同していると見えては恥だろう。

 外国からの指摘や主張には貴重なものもあろうし、参考にすべき場合も多いだろう。日本国内では言いにくいことをズバリと指摘されることもあって、つい和を優先しがちな日本社会には有益な場合もあろう。だが、欧米メディアを参考にすることと追従することの見分けがつかない様子は、欧米を基準にする習い性と見える。欧米メディアの主張は、そういう見方もあると受け止めておけばいい。