望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

弁別せず

 弁別とは「物事の違いをはっきりと見分けること。識別」とか「違いを見分けて区別すること」などとされる。例えば、右翼と左翼は思想が大きく異なり、右翼と左翼を弁別することは簡単だろう。だが、社会の矛盾や不正に対する批判などでは右翼も左翼も似たような問題意識があったりする。同じ社会を見ているのだから問題意識が似ることはあり得る。

 「左右を弁別せず」とは、左翼であろうと右翼であろうと協働できる部分においては協働することを辞さないという態度だ。これは竹中労さんが1970年代から主張していた。それぞれの思想に基づいて活動・運動するのが右翼であり左翼であるのだから、思想においての協働ではなく、活動・運動においての協働は可能であり、かつて大杉栄らは実践していたとする。

 この協働は、問題意識と解決策において共有する部分が多い場合に可能となる。例えば、腐敗した政治家や官僚を糾弾することや米国のためだけに動く政治家や官僚を批判し、排除することなどでは協働できるだろう。ただし、協働は必要があるときに行われるだけのものだ。竹中労さんの言葉を借りれば、「敵目標が一致した時」に協働すればいい。

 「左右を弁別せず」とは、思想や組織として右翼と左翼が協働するということではなく、活動・運動において「弁別すべからざる」情況に直面した時に、信頼できる相手と協働することだ。協定などを結んで組織が連携することとは異なり、その時の情況に応じて人々が協働したり協働しなかったりする。

 「左右を弁別せず」は原則であるが、常に最優先されるものではない。旗幟鮮明にすることが優先される情況では、自らの思想心情に基づく主張を掲げ、妥協と見られる言動は控えられるので、「弁別すべき」情況となる。「左右を弁別せず」とは運動に柔軟性を持たせるのであるが、異なる思想信条の人々の中に入っても揺るがない思想を持つ人々だけに許される行動である。

 亡くなった鈴木邦男さんの追悼文には鈴木さんが左右を分かたず広い交流を持っていたことを賞賛する指摘が散見されたが、それらの交流が行動としてどう現れたのかについてはほとんど触れられることはなかった。竹中労さんはYP体制の打倒ということでは右翼と左翼は協働できると見ていたようだが、YP体制を肯定する右翼も左翼もいて、「左右を弁別すべからざる」情況にあるとの認識では一致できなかった。

 「左右を弁別せず」とは右翼であろうと左翼であろうとヤワな思想の持ち主には無理で、鈴木さんは確固とした思想を持っていたから竹中さんらと交流することができたのだろう。「左右を弁別すべからざる」情況にあって「左右を弁別せず」と行動できる人間がかつては存在したことを竹中労さん、さらには鈴木さんは示している。