望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

竹中労と沖縄音楽

 沖縄出身の歌手やミュージシャンは現在多いが、沖縄には独自の音楽文化があり、それは素晴らしいものであると復帰前に日本人に知らせることに大きな貢献をしたのが竹中労氏だ。竹中労氏が紹介したのは島唄(沖縄民謡)だが、「安里屋ユンタ」が知られていた程度の周知度だった頃、沖縄に素晴らしい歌い手が多くいることを様々な媒体に書き、多くのレコードをプロデュースし、日本本土でも多くのコンサートが開催されるようになった。

 竹中労氏が紹介したのは、嘉手苅林昌登川誠仁照屋林助知名定男大工哲弘、国吉源次、山里勇吉、大城美佐子、知名定繁、金城睦松、糸数カメ、饒辺愛子ら個性豊かな優れた歌い手たちだ。竹中労氏によって初めて日本本土に紹介された歌い手も多く、その魅力を琉球フェスティバルなどで日本本土の多くの人々が知った。

 竹中労氏がプロデュースしたレコードでCDとして復刻されたものは「綾なす島の伝説 嘉手苅林昌①」「綾なす島の伝説 嘉手苅林昌②」「沖縄恨み節 大城美佐子」「辻のブルースと情歌の世界 糸数カメ知名定男」「神々と潮騒の歌声 国吉源次・大工哲弘」「美ら弾き 登川誠仁」のほか、「日本禁歌集③ 海のチンボーラー 嘉手苅林昌山里勇吉・宇根綾子・横目しずえ・大工哲弘」「琉球フェスティバル’74 日比谷野音ライブ」「琉球フェスティバル’91 語やびら島うた」などがあり、照屋林助とともに構成した「沖縄/祭り・うた・放浪芸」もある。

 これらのCDのほとんどはもう入手が難しいだろうが、その代わりに何らかの沖縄民謡を置いているCDショップは珍しくなく、三絃(さんしん)を弾きながら歌う歌手をテレビなどで見ることも珍しくなくなった。こうして歌などの芸能の力で沖縄は日本本土における存在感を高めたのだから、竹中労氏の存在を抜きにして日本本土における沖縄音楽を語ることはできない。

 竹中労氏は『琉歌幻視行 島うたの世界』(1975年刊)の「まえがき」で「1969年から、琉球弧を旅すること三十数度、ようやく島うたに関する一冊の書物を上梓することができた」とし、小沢昭一照屋林助との鼎談で竹中労氏は「私が沖縄に行って最初に聞いたのは『辻町小唄』『海のチンボーラー』といった廓の唄なんです」、嘉手苅林昌と出会った最初は「そのころは大酒飲みです。ネジリ鉢巻で三絃わしづかみにして、べろんべろんに酔っぱらってね、魔のごとく歌いまくる」「次に会ったときに違うんですよ。うたい方も歌詞も。またその次はまるでちがっちゃう」。

 「変幻自在なんですね。私は唄というものは本来、そうあるべきだと思っていたのです」「整除された、洗練された形で民謡はうたわれるべきものなんだろうかという疑問を、私はずっと抱きつづけてきました」「それが沖縄にやって来た日から、ふっ切れちゃった。嘉手苅林昌だけじゃなくて、登川誠仁のうたを聴いても、実に気ままに唄っている。伴奏もおはやしもその場の即興です。つまり生きている」。

 商品化された音楽では歌い方も歌詞も演奏も固定化され、そこでは自由な表現は限定されようが、沖縄で竹中労氏は、「島うた四千といいますね。そう、湧いてくるとしか表現のしようがないんじゃないですか」と人々が自由にうたっていた状況を記録し、伝えた。うたが人々による自由な表現であり続けた沖縄に比べ、日本本土では民謡は商業音楽の1ジャンルとなり、歌い方も歌詞も固定化してしまった。