望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

河出書房から『竹中労』

 河出書房新社から『竹中労 没後20年・反骨のルポライター』が2011年に発売された。「読書遍歴」など3編の竹中さんの単行本未収録作品のほか、平岡正明正木ひろし武智鉄二の各氏との再録対談、編集部作成の「主著解題」「略年譜」が収録されている。

 この本は、対談やインタビュー、エッセイ、論考などで多彩な人々が「竹中労をどう見たか」を語ることを中心に編集している。多彩な人々とは、小沢信男坪内祐三水道橋博士石川浩司佐高信鈴木邦男、井家上隆幸、関川夏央木村元彦塩山芳明、藤堂和子、朝倉喬司森達也、本山譲二、東琢磨速水健朗寺島珠雄、平井玄の各氏。



 巻頭では佐高信氏と鈴木邦男氏が「左右弁別すべからざる対話」と題する対談を行っているが、その中で佐高氏が「盗泉の水を飲んでも書け」と言っているのが面白い。ごちそうになっても「食っても書け」。祝儀をもらおうと広告をもらおうと「芸は売っても身は売らぬ」と、書く。商業メディアの「健全性」は、そのあたりで保たれるのかもしれない。



 取材して原稿を書く人が、清廉潔白で人格も高尚で、金にも女にもぐらつかず、取材対象には正対し、正攻法で臨み、そこから得た情報をもとに、いつも正しいことを言い、いつも正しいことを書く……それで済むならジャーナリストなんて気楽な渡世かもしれない。



 ごちそうになったり、お車代をもらったり、アゴ足付きの取材旅行に招待してもらったり、祝儀をもらったり、広告を出してもらったり……メディアは取材先から様々の「好意」を受ける。それで、書くべきことを書かなくなるから問題なのであって、書くべき時には書く。大震災の時に東電会長らと中国旅行していたメディアのベテランらも、黙ってしまわず、書くべきことは書けばよかった?



 この本には、竹中さんと正木ひろし氏の対談が収録されている。これは『言語生活』67年2月号に掲載されたもの。同誌を都内の古書店でだいぶ前に偶然見つけ、ひそかな宝物だったんだけど。まあ、この本に収録されたことで広く読まれるんだから、よしとするか。



 細かなイチャモンを一つ。巻末の主著解題に『国貞裁判・始末』(79年)、『黒旗水滸伝』(00年)が入っていないのは、なぜか。また、竹中さんの文章が含まれる『角栄だけがなぜ悪いのか』を紹介しているのに、『ストリップ昭和史』『猥褻の研究』などが入っていないのはなぜか。