望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

アナキズムの復権

 新装版で2012年に再発された「黒旗水滸伝」(竹中労著/かわぐちかいじ画。皓星社刊。全4巻。各巻とも定価1200円+税)の第4巻の巻末に収録されている、太田竜氏と竹中氏の対談「アナキズム復権」が、今日においても刺激的な問題提起をしている。この対談は『同時代批評』誌に掲載され、83年刊『左右を斬る』所載のもの。



 現代史を総括し、時代の閉塞を打ち破ろうとする同対談からランダムに抜き出してみる(引用は適時中略あり)。例えば、「人はどんな状況に置かれても、ひとつだけの自由を闘うことはできる。それは『自由になりたいという自由』。これだけは主張することができる、どんな状況の中でも」。



 「悠久の革命ね、人類・万類が共存できる世界に向かって歩き続けること。生命のなきものとされている雪も風も全部、実は生命なんだと。その万物が斉同である、斉同であってこそ万類は共存できる。そういう遠い、我々が死んでからも何千年も何万年もかかるであろう彼岸に向かって、ひとつの生命が歩み続けることが革命なんじゃないか」



 「究極は明治維新の問い直しですよ。西欧近代と、その線上に出て来たマルクス主義の思想と実践には、人類の出口がない。大杉には、生命の哲学、自治、相互扶助と自由連合、で国家の解体、国家によっては決して革命はできない、人民自身の直接行動以外にはいかなる革命もないということが、はっきり提示されている」



 「栗原幸夫は、あの十五年戦争というのは、歴史の必然だったと発言した。栗原は圧倒的に正しい。日本はそこまで行かなきゃならないようになっていたんだ、と。竹内好さんが亡くなる時にね、栗原に言ったそうです。俺は何をやってきたんだろうなあ、と。戦後民主主義のカラクリが、本当はもっと早くに言われていなけりゃいけなかった」



 「日本のアナキズム、大杉以降のアナキズムの弱点として、日本の土着的伝統に定着しきれなかったこともある。もっとも民衆に土着している精神的な要素の最たるものが宗教。戦前の旧憲法下において、天皇制の国家宗教と真正面からぶつかったのは大本教を中心とする古神道系の宗教です。大杉を先頭とするアナキズムとは関係がなく、ここに非常な脆さがあった」



 「国家は、民衆の心を内部から支配して、それで飼いならす。自発的に服従させる。根幹は学校の教育だが、はねつけることもできる。しかし、宗教は民衆の内部の心をつかむ。宗教を国家が統制支配できるかどうか、ここに決定的なポイントがある。日本の天皇制で支配の要として持ち出したのは、宗教統制と美的価値の独占ですよ」



 「宗教とは、一つの側面からいうと、死者との契約であるわけですよ。だから、いつも死んだ人がそばにいるわけです。死んだ人間は、生きた人間に裏切られても、怒ることも抗議することもできない。だから死者との約束は守んなきゃいけない。それが宗教の基本」



 なおアナキズムの組織原則である自由連合については『左右を斬る』の中で、「自由な個我に目覚めた人々は、体制の外に造反一統して自由の共同体をつくり、友愛と共同の目的に殉ずる。ただし、運動をやめ・組織を離れることも、等しく自由である。規律は、自己の意志によって・自己に課されるものであって他者を強制しない。人々は出会い、一つのことをなし遂げて別れていく、すなわち個別・自由に連合・集散するのである」としている。