望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

太陽信仰と地球の自転

 朝に太陽は東の空にのぼり、少しずつ移動して夕方には西の陸地や水平線などに沈むので、地表に生きる人間には太陽が天空はるか高くを動いていると見える。地球が自転しているから、太陽が動いていると見えるのだーとの知識は誰でも持っているだろうが、地表に生きる人間の実感はおそらく天動説を支持する。

 月も東からのぼり、天空はるか高くを動いて西に沈む。月は地球を周回しているが、地表で生きる人間には太陽と月は同じように地球の周りを回っていると見える。太陽と月の動きが異なることを誰でも知っているだろうが、その違いを実感することは地表に生きる人間には困難だろう。

 太陽から地球に届く光と熱に人間は依存して生きている。太陽は毎日、東の空に現れて、天空高くに輝いて、光と熱を地表にもたらし、その光と熱は植物を育て、さまざまな生き物が植物や他の生き物を食べて生きるとともに植物や生き物が人間の食糧になる。太陽が西に沈むとともに夜となり、人間は就寝する。

 都会では夜行性の生き方をする人間は珍しくないが、自然の中では人間は昼行性の暮らしをし、闇に肉食獣などが隠れている可能性がある夜の活動を控える。太陽の動きに人間は合わせて生きてきた。光と熱による様々な恵みを与えてくれる太陽を人間が崇めるのは自然なことだ。世界には太陽信仰が各地にある。

 キリスト教イスラム教などの一神教が広がる以前の古代に世界各地で、神という概念を人々はそれぞれに持った。その神の具体的なイメージとして太陽があり、天空はるか高くに存在する天上界に神が存在するとの物語(宗教)が生まれ、共有された。太陽は人間に恵みをもたらすとともに旱魃などで災いをもたらす神でもあり、その両義性が神秘性を高めた。

 現在でも太陽は地表に生きる人間に恵みをもたらすが、コロナ質量放出などでプラズマを大量放出して地球で磁気嵐を起こしたりし、各種のインフラに影響を与えることが懸念されている。太陽に対して人類が無力であることは古代も現代も変わっていない。君臨する太陽が災いをもたらさないように願うしかないとすれば、太陽信仰の当時と太陽と人間の関係は似ている。

 太陽信仰は、地球が自転していることが明らかになっても続いているように見える。元日の初日の出を喜ぶ風習は現在も健在であり、初日の出を見ようと全国各地で人々は夜のうちに出かけて、初日の出を拝んだりする。初日の出は地球の自転の結果であり、そこに特別な意味はないことを人々は無視して初日の出を喜ぶ。