望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

変化と破壊

 「生態系の変化」と「生態系の破壊」を人類は見分けて区別することができるのだろうか。例えば、ある地域で固有の生物が絶滅した場合、それは生態系の変化か破壊か。絶滅の要因が明確であるなら、変化か破壊かを判断はできようが、複数の要因による複合結果であるなら、どの要因を重視するかで判断は分かれよう。

 人為的に廃棄された有害物や乱獲などによって絶滅したのなら「生態系の破壊」と見なすことは容易だろうが、様々な要因が蓄積して数十年かかって絶滅した場合など、破壊か変化か簡単には判別できまい。客観的な判断が難しい状況では主観的な判断が勢いを得たりすることもある。

 さらに生態系の破壊だったとしても、それは長い時間軸で見ると生態系の変化に含まれる。恐竜の絶滅は小惑星ユカタン半島付近に激突し、その衝撃で広い地表に急激な環境変化がもたらされ、さらに舞い上がった粉塵により気温低下が長く続いたためとされる。これは生態系の破壊であり、環境の破壊でもあるが、新しい生態系や環境に移行したため、地球史からすれば生態系の変化であり環境の変化であろう。

 同じように「環境の変化」と「環境の破壊」の見極めも人類には簡単ではない。環境の破壊は許されないとの認識が広がっているが、環境の変化は人間が許そうと許さまいと人間の都合には関係なく進む。人間の時間軸で認識される変化を人間は環境の破壊と認識しがちだが、人間が環境の破壊と認識するものも地球史で見るならば環境の変化に過ぎない。

 地表の環境は激変を繰り返してきた。人類の歴史は猿人などを含めても1千万年ほどだが、数十億年にわたって超大陸が形成されたり分裂したりと地表の環境は変動し、温暖な時期と寒冷な時期を繰り返す。人類が繁栄する現在の地表の環境を固定されたものとして基準にすると、環境の変化を破壊だとして危機意識を持つ。だが、人類の都合に関係なく地表環境は変化するので、「環境の変化」と「環境の破壊」の見極めは簡単ではない。

 地球史からすると、生態系や環境の破壊とされるものは生態系や環境の変化に含まれる。人為的な破壊だとしても百年、千年の時間で見ると変化の一つに過ぎない。だが、百年に満たない時間を生きる大半の人間にとって、人為的な要因による変化を破壊と見て、環境や生態圏を保護しなければならないとする。

 環境や生態系は固定されて変化しないものとするから、あってはならないものと破壊を解釈できる。自然を人間の力で制御できるとの思考が根底にある人々だから、破壊を人間の力で止めることができると発想する。だが、環境や生態系の変化ならば、対応することしか人類にはできまい。CO2排出削減で地球環境を変えることができるとの欧米主導による壮大な実験はおそらく失敗するだろうが、失敗だと判明するのは来世紀か(温暖化の危機を強硬に主張した人々の大半は亡くなっているだろう)。