地動説を支持したことでローマ教皇庁から異端審問を受け、有罪を言い渡されたガリレオ・ガリレイは、「それでも地球は動く」とつぶやいたとされる。この言葉は後世の創作だともいうが、時の権力がどんなに圧力を加えようとも科学的真理が揺らぐことはないとの、目覚めた理性による言葉として伝えられてきた。
当時の宇宙観の定説は、地球が宇宙の中心にあって、太陽などは地球の周りを回っているという天動説だった。天動説の歴史は長い。古代から人間は、太陽や月、夜空の星々を見上げて様々な宇宙観を作り上げたのだろうが、紀元前の古代ギリシャの天文学者プトレマイオスが集大成し、天動説の基礎を築き、それが学問として発展した。
天動説は誤りだと教えられる現代人は、東から太陽が昇り、空を渡って、夕方に西に沈んでも、太陽が地球の周りを回っているとは考えないだろう。だが、天動説の方が実感に近いかもしれない。地球の自転を感じることはできないが、地表に住む自分らの上空を太陽が動いているようには見える。地球を中心に周回する月の動きと、太陽の動きが、同様のものに見えたとしても不思議はない。
理論が実感を裏切るのか、実感が理論を裏切るのか定かではないが、天動説は誤りだと教えられているから現代人は、太陽は動かず地球が自転しているということに疑問を持たない。でも、地球の自転を実感することは困難だ。フーコーの振り子を見て、それが地球の自転の証しだとされるから、なるほどと思うのだろうが、理解できる人はどれほどいるのかな。
地球の自転は大規模な運動だ。地球の円周は約4万キロメートルで、24時間(1日)で1回転するから、24で割ると時速1666キロほどになる。分速にすると約28キロメートル、秒速にすると約470メートル。地表にいる人は凄まじい速度で移動しているのだが、大気を含めて地表の全ても同じ速度で動いているので、周囲は動いていないように見える。
自然科学だから、実感と理論が違っていても、客観的なデータにより検証された理論の方が正しいと人は理解することが可能だ。だが日常生活では、自然現象や社会現象など見聞きする事柄をいちいち理論的に検証する人はごく少数で、実感が優先されるほうが多いだろう。さらに人文科学では「客観的なデータ」は乏しく、多くの学者が認めたからといって、真理とは限らない。日常の世界は、天動説的な仮想の世界なのかもしれない。