望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

国際機関と国家

 地球史を振り返ると、陸地が集まって巨大大陸を形成しては分裂し、また、集まって巨大大陸をつくっては分裂することを繰り返した。現在はユーラシア大陸に向かって陸地が集まる過程にあるとされる。億年単位の動きなので、次の巨大大陸が形成された時に人類が生存しているかどうかは不明だ。

 陸地が移動するのはプレートが動いているからだ。プレートの動きによって世界各地で地震が発生するので、人類は地表が常に動いていることを実感する。とはいえ、地震が発生するのはプレートとプレートが衝突している個所が多く、日本などは地震が多発する位置にあるが、世界にはプレートの圧力の影響がごく小さい陸地も多く、安定した地盤などといわれる。

 人類の歴史は地球史から見るとごく短いものでしかないが、集まることと分裂を交互に繰り返すのは、地表だけではなく、人間の世界も同様かもしれない(ここで言う人間の行動の主体は、個人ではなく国家単位)。

 近代以降では、民主主義や人権尊重などへの志向を原動力として世界で国家の再構築が行われ、次には、国家の行動をも制約できる国際機関が形成された。国際連盟国際連合のほか、多くの分野で国際条約に基づく国際機関がつくられ、個別の国家の行動を制約したり、何らかの義務を課したりする。

 それらを人類が一つに集まる動きとみなすならば、現在は個別国家の利益を優先させる動きが珍しくなくなり、国連をはじめとした国際機関が相対的に弱くなっている。国際機関が個別国家を制約する力が弱くなったとも、もともと国際機関は名前だけの存在で個別国家を制約できる力など乏しかったとも解釈できる。

 おそらく、個別国家は常に利益を優先させてきた。国際機関と協調したほうが利益が大きいとみなせば協調し、そうでなければ自国の利益を優先させる。国際機関と協調する姿勢を見せることのメリットが希薄になれば、個別国家は自国の利益を優先させる。

 地球史では陸地が集まると巨大な大陸を形成した。人類の国際機関では加盟した国家は個別の国家のままでいる。国家が集まる原動力は地球規模での人類意識などだろうが、そうした人類意識は国家意識を押しつぶすほどの圧力にはなっていない。人類意識もまた幻想の一つでしかなく、現実においては無力なのだろう。