望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

加療1週間

 これは20年ほど前に聞いた話だ。都内にある保険関係の業界紙での出来事という。

 定年まで数年のS氏。DTP製作担当の部長をしているが、管理が大好きで、とにかく部下を縛り付けておくのが好きな人だ。管理と言っても、良い紙面を作ることなど二の次で、自分の存在を示すことが目的の管理。だから、校閲担当者とオペレーターの校正紙1枚のやり取りでも、自分の手を通さなければ我慢できない。といっても、ただ間に自分が入って運搬しているに過ぎないのだが。

 このS氏。実務能力はせいぜい人並みだが、偉ぶりたくて仕方がない。そのためには周囲を低く抑えつけようとし、他人のあら探しには熱心。「こいつを管理(頭を抑えよう)しなければ」と狙いを定めた人間には、特に注意を払って、粘着タイプ特有の言い方で細々と言う。言う内容に客観性がなく、自分に都合のいいように論理をすり替え、また、以前に言ったことと正反対のことを言い出すのも日常的。とにかく周囲が自分をちやほやしてくれる毎日を夢見ている。

 このS氏がアルバイトAにビンタされたという。JRの事情で数分遅刻したAに突然「職務規定通り遅延証明を出せ」と言い始めた。S氏はAに職務規定を見せたこともなく、そうした説明をしたこともない。電車の事情による遅刻はタイムカードにその旨記入すれば良いと聞かされ、1年以上そうしてきたAは、いきなり職務規定を持ち出され、「遅延証明を出せ」と言われても対応できない。Aは説明したが、Aを「管理」したがっていたS氏は聞く耳を持たず、「遅延証明を出せ」と強要するばかりで会話にならない。かっとなったAは思わずS氏の頬をはっていた。

 そこでS氏、「しゃれたことをやるじゃないか」と言って、反撃するのかと思いきや、受話器を取り、社長、総務部長に連絡だと騒ぎ始めた。勢い込んで総務部長の元へ行ったS氏は、拳骨で殴られた、負傷した、病院に行くと言い立てたそうな。

 総務部長への「訴え」を終えて編集部に戻ったS氏は、ビンタされたことで注目を集めるのが嬉しいのか、部屋中を歩き回って、「後遺症が出るかもしれない」「眼鏡が壊れたかもしれない。弁償してもらう」などと言い立てたという。そうして1時間ほど部屋中を歩き回った後に「やっと」病院に行き、診断書をとって来たという。

 「加療1週間を要す」という診断書。加療1週間とは、つまり擦り傷程度。それでもS氏は「後遺症がどうなるか症状が固定していない」と言っていたという。さすが保険の業界紙の部長で、言うことが「専門的だ」とAは妙に感心していたとか。