望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

マネジメントの違い

 

 アメリカとイタリア、日本でそれぞれマネジメント講習を受けたというデザイナーの奥山清行さんによると、管理職がミスした場合、アメリカでは「ミスを訂正してもいいが、謝るな」と教え、イタリアでは「訂正するな。謝るな」と教え、日本では「訂正して、謝ってもいい」と教えられたという。



 王や貴族が統治階級として君臨していた歴史を持つ欧州では管理職は“君臨”すべきものとされ、世界各地からの移民が集まって建国したアメリカでは、実務的にミスは訂正するものの管理職は特別な存在とされる。それに対して日本では、管理職と一般社員との距離が欧米ほど隔たってはいないので、管理職は特別な抜きん出た存在ではないと見なされているのかもしれない。



 ミスを訂正して、謝った管理職は日本では、むやみに偉ぶる傲慢な人ではなく、「キチンとした人だ」と一般社員から好感を持たれるかもしれないが、欧米では逆だろう。ミスをした管理職は評価を下げ、ミスの度合いによってはクビになるだけ。謝った管理職に一般社員が、「正直な人間だ」などと仲間意識の延長で好感を持つことはまれか。



 欧米の管理職が社員食堂で一般社員に混じって食事をすることはないというが、日本では珍しくない。オフィスも日本では大部屋式が多く、皆がデスクを並べて仕事をし、個室を与えられるのは役員クラスからが多いようだが、欧米では部長級以上は個室を与えられ、ポジションに応じて個室の広さ、豪華さなどが変わってくるとか。



 求められる管理職像が欧米と日本では異なるが、求められる一般社員像も異なっている。決められた仕事をこなすことを社員に要求する欧米流と、決められた仕事以外にカイゼンのアイデアを出せなどと要求する日本流。日本流のほうは社員に“期待”しているともいえようが、見方を変えると、社員の発言力が養成されることを容認している。



 欧米流のビジネススタイルがアジアなど世界に広がっている中へ、日本企業が日本流を持ち込めば、どうなるか。“君臨”したり、特別な存在である管理職がおらず、社員を“対等”に扱う日本流が、例えば、中国では裏目に出ているという見方がある。対立点が表面化しない間は順調だが、賃上げなどの待遇改善要求や政治問題が絡むと日本流のマネジメントでは抑えがきかなくなるという。



 管理職像が異なるのは文化的背景の違いによるものだろうし、どちらかが間違っているとはいえない。リーダーが引っ張る「多民族」的カラーと、合意形成が欠かせない「単一民族」的カラーの違いが企業文化にも反映しているのだろうが、合議による合意形成によって動く日本企業は、意思決定が遅いと批判されるようになった。決断する管理職は、ミスしたなら去るだけ……か。欧米流の管理職像が日本で広まるには時間がかかりそうだ。