望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

魂の行方

 人間は死ぬと、肉体は滅びるが、精神はどうなるのか。肉体の死と共に消えるのか、魂などとして、この世に残るのか。誰も「正解」は知らない。それは宗教の領域だ。

 靖国神社に参拝することを主張する政治家が多くいる。靖国神社は「英霊」が帰ってくる場所として位置付けられているが、仮に霊というものがあるとして、戦地(中国大陸、東南アジア、大平洋諸島など)で死んだ兵士の霊が日本に帰るとすると、それぞれの懐かしい故郷に帰るだろう。霊になってまで国家に縛られるものだろうか。

 靖国神社とはどのような「装置」なのか。これが、公式参拝云々の議論、報道からすっぽり抜け落ちている。批判する側も、東條らが祀られていることが問題だとするのがせいぜい。靖国神社が、戦没者追悼のモニュメントなのか、宗教施設なのか、その区別さえつけようとしない。

 こうした混乱は、死んだ兵士らを追悼するのは生きている人間達だという主体がぼやかされ、英霊というものが実在し、それが靖国神社に集まっているから、生きている人々はお参りせよと議論が擦り替えられていることから生じている。

 そこには、死者が本当に霊としてこの世に残るのかという疑問が一顧だにされず、戦死者にお参りすることと戦死者を追悼することの区別が曖昧なまま残されている。

 つまり、日本軍兵士として死んだ人々への追悼をどのような形式で行うのか、神道形式でいいのか、無宗教形式のほうがいいのかなどの基本的合意さえ社会的に形成されていないことの結果として靖国参拝問題がある。

 霊など存在しない。死と共に精神も滅ぶと考えると、靖国神社にお参りさえすれば、死者への「義理」が果たせたと考える政治家たちの無責任さが見えて来る。