望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

夏の日の怪

 それは栃木県の岩舟山の山頂にある高勝寺で起こった。岩舟の名の通り、巨大な岩の山には、ふもとから石段が続いており、30分ほどで山頂に上ることが出来る。夏のある日の午後、汗だくになりつつ山頂に上り、あちこち歩いて片端から写真を撮った。計137枚。夜、家に帰ってからパソコンにデータを写し、写真を再生してみると、確かに撮った記憶のある写真のデータが残っていないものがあった。

 その1。本堂から離れたところに水子供養の地蔵が集まった一画がある。柵の中に小さな地蔵がいくつも立ち、水差しには原色の風車がさしてあり、地蔵の足下にはぬいぐるみなどが置いてある。寺山修司の映画の場面みたいだと思いながら、アングルをいろいろ変えて10枚ほど撮った。それが、全体を撮った2枚と他の2枚だけしか残っていない。柵のそばまで行って、風車やぬいぐるみの色を全体に散らばすようにアングルを変えて撮ったものがほとんど残っていなかった。

 その2。本堂の横に三重塔があり、その横に山頂に続く石段があり、上りきったところの路の脇の崖に地蔵がいくつも置かれていた。それらには背広、シャツ、ジャージーなどを着せられていて、そこでも、アップにしたり少し引いたりとズームを使いながら4、5枚撮った。夜、再生してみると、背広を着せられた地蔵の1枚しか写っていなかった。

 霊とか死後の世界を信じないし、心霊現象なるものも、事実というより解釈で騒いでいるだけだと考えている。英霊なんてのも存在しないのだから、靖国の問題も出発点から間違っていると考えている。だから、今回の件も、たまたまデジカメの調子がおかしくなっただけだと納得しようとしているが、釈然としない何かが残る。

 そういえば、水子供養の地蔵が集まっている場所も三重塔脇の石段を上った場所も、何か冷たさのような、かすかな違和感が漂っていた。誰か、確かめに行って写真を撮ってきてみませんか。