望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

より攻撃的になる

 民間人の処刑だと解釈できる事例などウクライナに侵攻したロシア軍の残虐行為が伝えられている。組織的に行われているのか兵士個々の判断による行為なのか定かではないが、戦争のおぞましさをリアルに伝える情報だ。今回のロシアのウクライナ侵攻は国連の無力さを明らかにしたが、戦時において国際法などが無力であることも示した。

 国際法の出番は、戦争終了後に国際法廷が設置されたときだろう(国際司法裁判所の選択条項受諾をロシアと中国と米仏は宣言していないので、提訴されても応じる義務はない。国際司法裁判所は3月16日、ロシアに対して直ちに軍事行動をやめるように暫定的な命令を出したが、戦争は続いている)。だが、ロシアが敗戦国とならない限り、そうした国際法廷の設置は困難だ。

 戦場において残虐行為は、第一に他国に侵攻した軍や兵士によることが多い。サキの短編だったか失念したが、王に命じられて対立相手の畑を荒らしに行く兵たちが途中でも関係のない畑を荒らしていくので、村人がとがめると兵は「向こうの畑を荒らすことに正当性はないのだから、どこの畑を荒らしても同じだ」などと返答し、途中の畑を荒らして行った。

 他国に侵攻した軍や兵士には、侵攻を正当化する相応の大義名分が国家から与えられる。例えば、その地の人々を圧政から解放するためだなどと信じて、出掛けてはみたものの現地で人々の強い反発や激しい抵抗などに直面して、軍や兵は戸惑う。大義が希薄な軍や兵ならば、侵攻先で、倫理観を失って規律が乱れ、民間人の殺害や略奪、婦女暴行などを行ったりする。そうした例は歴史上に珍しくない。

 戦場における残虐行為は、第二に侵攻された側で報復感情が高まり、裁判によらずに侵略軍の捕虜を処刑することだ(これは戦闘行為による殺害ではない)、第三に宗教や思想などに基づく戦争で、対立相手の壊滅を目指す場合に大量の殺害が行われたことも歴史上に珍しくない(宗教的感情や思想などにより共存が否定され、大量殺害が正当化される)。

 当初はウクライアを簡単に制圧できると想定し、すぐに首都キーウの確保を目指していたようなロシア軍の行動からは、ナチズム云々との大義名分で押し切るつもりだったとみえる。だが、ウクライナ軍の抵抗に遭ってロシア軍の行動は制約され、ナチズム云々との大義名分はウクライナ人にも国際的にも共有されず、ロシア軍は異国(ウクライナ)内で「招かれざる客」になった。

 大義名分は色褪せ、異国(ウクライナ)での軍事活動による成果を国家から厳しく要求されるロシア軍において兵らの士気が高まらず、規律が緩むことは想像に難くない。そうした軍や兵士が、より攻撃的になったり残虐行為を繰り広げたりすることも想像に難くない。侵略戦争を遂行する軍や兵において規律が乱れるのは、侵略行為が倫理性を伴わないからだ。