望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

2000円札

 こんなコラムを2001年に書いていました。

 昨年発行された2000円札は、沖縄サミット記念紙幣だったのかと思うほど、流通していない。1000円札と紛らわしいとの声もあったが、実際には紛らわしくない。だって見かけないんだもの。まれに手元に来ると、これは2000円札だぞと意識して、払う時に2000円札だよと言ったりするから、間違えようがない。

 もともと2000円という額に利便性があったわけではない。西暦2000年に引っ掛けて、誰かが思い付いたにすぎない。経済効果? あるわけないだろう。どうせなら、西暦2000年限定発行にすれば、記念紙幣として稀少価値が評価され、もっと大事にされただろうに。

 新札を発行するなら2万円札にすべきだった。現在の最高額紙幣である1万円札は発行紙幣の5割以上になっているというので、さらなる高額紙幣発行の条件は整っていたと言える。ただ、10万円札では日常生活では使いにくい。5万円札でも、財布に入れておいて日常生活で使うには高額すぎる。2万円札なら、昼メシ代や買い物などで、それほどお釣りの気兼ねなく使えそうだ。

 2000円札は、展望もなく理念もなく、その場しのぎが間に合わなくなって来ているのに、思い付きで政治が行われているという、日本の黄昏が明白になった2000年を象徴する存在なのだ。