望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

N氏の憂うつ

 こんなコラムを2003年に書いていました。

「総理大臣にもなった。勲章も一番いいのをもらった。大新聞社のワンマン社長とも友達だ。息子も国会議員にして跡を継がせた。自民党の比例の終身1位だから、当選は保証されている。私の人生は大成功だ。何よりも、金のことではいろいろ噂されたが、1度も逮捕されずに済ますことができた」

「私の人生には不満はない。いや、違う。ある。憲法だ。負けた日本を占領したアメリカに押し付けられた“自由と民主主義”の憲法なんか、日本の伝統からはずれている。日本はやはり、天皇が君臨して、エリート官僚が一切を決め、国民は従い、強い軍隊をもち、その軍隊がアジアに睨みをきかすーーそれこそが日本の伝統だ」

「それと教育基本法の改正だ。天皇を敬い、愛国心を子供らにたたき込むことが必要だ。自由だの平等だのは必要ない。全ての子供に、自分で自由に判断する能力なんて必要ない。命じられたことをきちんとやるように育てれば、それでいいのだ。大人になってからも、天皇を敬い、愛国心を持ち、国家に求められれば命も捧げる。そんな美しい日本人に育たなかった奴等は警察や特別警察がびしびし取り締まって、秩序の保たれた美しい日本をもう一度取り戻す」

「そのためにも私にはまだ、やることが残っている。80歳をとうに過ぎたが、私の道はまだ半ばだ。憲法を改正しなければ死んでも死にきれん。やり方はわかった。君が代法制化の時のように、ソフトに、皆さんの生活には何の変化もありませんよと進める。法律ができてしまえば、運用でどうにでもできる。強制しないとは言っても、あと何年かすれば、日本中の学校は日の丸を仰ぎ見て君が代を歌う子供でいっぱいになる。そう進めたのだから」

憲法だって同じだ。自由も民主主義も平和主義も尊重しますと言っておけばいい。ただ、アメリカの押し付けではない日本人自身の手による憲法にするだけですと、日本人だとのプライドをくすぐればいい。憲法だって改正してしまえば、現在のように解釈でどうにでもできる」

「その私が議員を何故やめなければならないのか。あと一息で憲法教育基本法も改正できそうだというのに、無念だ。だいたい日本の軍備増強の道を開いたのは私だ。日本の置かれている状況から、アメリカ軍の指揮下を脱しての軍備増強は不可能だと見て、アメリカ軍とのつながりを強めることによって日本軍の増強も可能になった。不沈空母という言葉が有名になったが、誰から見て日本が不沈空母と言えるのか。アメリカにとっての不沈空母であるからこそ、日本の軍備増強が可能となったのだ」

「今の総理は、私がつくったアメリカべったり路線の良き後継者だ。逆らわなければアメリカは大目に見てくれる。軍備増強だって弱肉強食の経済だって、アメリカを出し抜かなければ、ある程度は自由にできる。腹の底で何を考えていようと、大親友ですとアメリカにべったり従っていればいいのだ。そこら辺のやり方は私が今の総理に教えてやった。しかし、彼は私に従うように振る舞いながら、今になって私を見捨てるとは思わなかった。悔しいが私の道は塞がれた。憲法が改正されたとしても私の功績にならないのが、悔しくてならない」

「ただ心配なのは、今の総理が私を見捨てたように、ある日、アメリカに対しても態度を変えてしまうのではないかということだ。今の総理が失脚させられるくらいならいいが、せっかくの憲法改正のムードとともにアメリカにつぶされやしまいかと心配になる。そうか。その時こそ私の出番だ。アメリカの大親友を演じた私だ。アメリカが許す範囲での憲法改正を進めることこそ私の使命だ。選挙なんかに無駄なエネルギーを取られずに済むのだから、憲法改正に焦点を絞り、私の生きている内に憲法改正を実現させる。……議員でなくたって、頑張れる、はずだ」