望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

謝罪する教皇

 カナダを訪れたローマ教皇フランシスコが謝罪した。カナダでは19世紀から同化政策として先住民の子どもを親から強制的に引き離し、寄宿学校では「白人」になるように教育したそうだ。だが、カトリック系寄宿学校では先住民の子どもたちが神父らから虐待を受けて数千人が死んだとされる。「多くのキリスト教徒が先住民に犯した悪に対し、謹んで許しを請う」と教皇は謝罪したそうだが、殺された子供は生き返らない。

 先住民の子供を「白人」らしくしようと教育したが、親から強制的に引き離された先住民の子供は反抗しただろうから、せっかく「白人」らしく教育してやったのにとカトリックの神父らはつい虐待したのか。寄宿学校の跡地からは多数の遺骨や墓が見つかっているというから、言い逃れも隠蔽もできずカトリックは謝罪に追い込まれた。白人が他人種を見下さず、対等の人間として接していたなら、起こらなかった悲劇だろう。

 カトリックが謝罪することは珍しくなくなった。聖職者による性的虐待と教会がそれを隠蔽し続けていたことが世界各国で次々に暴かれ、2014年に児童への性的虐待についてローマ教皇は謝罪し、対応の強化を表明した。さらに2018年に性的虐待問題に教会が沈黙していたことをローマ教皇は謝罪した。

 2019年にはローマ教皇は、男性聖職者による修道女の性的暴行について認め、問題に対処するためと前例がない特別会議を開催した。また、聖職者による性犯罪は機密扱いせずに調査に協力するとした。2022年には前ローマ教皇がドイツで大司教を勤めていた当時、性的虐待で告発を受けた司祭たちの職務継続を容認していたことが明らかになり、批判された。独カトリック教会では1946〜2014年に全国で3600人以上が司祭らから性的虐待を受けたという。

 カトリックの聖職者による世界各地での性的虐待などが、いつから始まっていたのか不明だが、おそらく相当以前から行われていて、教会などによる隠蔽も続いていたのだろう。告発の動きが広がったのは、カトリックの長い歴史に比べると「つい最近」のことだ。聖職者も教会も世俗の秩序に組み込まれ、世俗から超越することができなくなったことが告発の動きの背後にある。聖職者や教会を特別扱いする時代ではなくなった。

 神への人々の信仰に支えられていた聖職者や教会の権威が衰え、聖職者や教会に対する畏敬の念も衰えたのは、神への人々の信仰が揺らいでいるからだろう。聖職者の性的虐待などや教会の隠蔽が続いていたことは、人々から見れば神の正義が行われない世界であり、現実世界では神の正義が行われないと解釈するしかない。神は人々の苦しみには無頓着で人々を見捨てるという世界で、神を信じ続けることは簡単ではないだろう。

 神は君臨するものであり、信仰は人々から神への一方通行で、神から人々への働きかけは預言者を通して神の言葉を伝えただけと納得できるなら、神の正義が行われない世界でも神を信じることができるかもしれない。ただし、そうした神が存在するとしても、世俗の秩序に組み込まれたカトリック関係から今後も謝罪の動きはあるかもしれない。聖職者にも教会にも「免罪符」は無くなったからだ。