望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

若者はカモ

 こんなコラムを2005年に書いていました。

 「若い頃に共産主義にかぶれない奴は馬鹿だが、大人になってもかぶれている奴はもっと馬鹿だ」なんて言い方がある。「転向」した大人の言い訳だが、人間社会の現実が見えてきた実感による言葉ともいえよう。今の若い奴はどうなのか。少なくとも共産主義には見向きもしないようだ。


 改革の名の下,企業の従業員解雇がしほうだいとなり、失業率が上昇したが,正社員の新規採用も抑制され,若者の失業率は10%にも達するという。スキルを身に付けようにも就職できない若者もあり,この先,所得格差の拡大と階層の固定化にもつながろう。一方では例えば世襲議員が増殖するなど,銀だか銅だか知らないが、スプーンを銜えて産まれてきた連中との差は開くばかり。


 こうした中,若者から「職よこせ」のデモが起きるわけでもなく,黙って,されるがままになっているような印象だ。個々に不満は持っているはずだが、社会に対する関心がないようにも見える。なぜか。(1)若者の不満を表現として組織化するものがいない、(2)学校でイジメなどの洗礼を経た若者は、突出することを嫌い,浮かないようにすることが習性の一部になっているので、自己主張を自己抑制する,(3)選別されることを当然と受け入れているので,社会構造からくる選別も,個人の問題と認識する。


 先の総選挙で、20代では自民党支持が多かったという。共同通信出口調査によると,比例代表の全国11ブロック別投票行動で,20代前半は北海道を除く10ブロック全てで自民党が最多だったという(東京新聞)。彼らが、例えば郵政民営化法案を理解した上で自民党を支持したとは見えない。刺客騒動などを面白がって投票した印象だ。


 社会に関心がなくなったとしても,小さな世界に生きる若者にとって,年金の未払い増加に見られるように負担増は大きな問題だろう。膨大な国家財政の赤字のツケを回されるのは若者世代だし,年金制度が破綻すれば,彼らは老人になってから自己責任を問われて,放り出されるかもしれない。自ら蒔いた種と言えばそれまでだが、「見捨てられた」若者の不満がこの先どのような形で現れるか。社会の変革を求めるか,個人利益を最優先にモラルの破壊も辞さないか。


 和が強調されるなど同調圧力の強い日本社会だが、一方では自己判断・自己責任の自由競争を自明とする傾向が強まった。和と自由競争、この二つは矛盾するものだが,和を求めれば自由競争だと言われ,自由競争のつもりでいたら和と言われるなど、その矛盾は個人に押し付けられるのが実状。つまり、カモはいいように食われるだけだ。今の若者はカモになるように育てられたのか。