望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

温暖化

 こんなコラムを2005年に書いていました。

 夏の暑さに地球温暖化を危惧してみたものの、紅葉の季節ともなれば、温暖化のことなどすっかり忘れ,青森が見ごろだ,鳴子峡が見ごろだ,磐梯山だ,日光だと、すっかり行楽気分。喉元過ぎれば熱さを忘るの例え,秋には秋の温暖化現象があるはずだが,そんなものには気が回らない。


 温暖化なら肌に感じて思い知らされるが,実感薄く気付きにくい政治の変調。大量に湧いて出た小泉チルドレン、馬鹿にしつつ見るにはいい「絵」とばかり、マスコミは追いかけ回す。視聴者も,センセを笑って見下す分には自らに実害なしと済ましているが,国歌・国旗法の前例あり,ぽんぽん可決される新法のツケがやがて回されて,強制,監視,負担増のオンパレード。自己責任で選択したはず,結果責任だと,逃げもならす,押し付けられる。センセを笑っているうちに,抜き差しならず,身動きできず,せめて願うは孫子の代まで先送りされること?


 いつか来た道と暗い顔して言う連中は、頼まれなくても何度でも,同じ馬鹿をやるのが人間で,繰り返すのが歴史だとは口にできない。それを言っちゃあ、訳知り顔ができなくなる。

 やることに時代の彩取りあるものの、愛し合い憎み合い、競争したり妬んだり,時には、お命もらいます,国のためか自由のためか、はたまた神か民主主義、持ち出す理由に事欠かないのが人間社会,正当化できないことはほとんどなし。批判されれば自分の主張を、ただそれだけ繰り返すがよい。あとは力。道理だって理由があれば引っ込みます。倫理なんかも,秋の夜長の虫の音に似て、寂しき中でかすかに響き,一層あわれを引き立てます。


 時代は変わる,変わったのか? 方向、がらっと変わったものの、騒ぎを振りまく偏向教科書、この教科書をいつかまた,孫子の代に墨塗りするのか。国を愛する気持だって、強制されて歌わされては、面従腹背、サッカーチームを応援するのとちと違い,聞こえませぬよ伝兵衛さん、愛国心の旗ふり連中の命令なんか。さあ若者よ銃をとれ,やっと、そんな世になった。ところが笑止、止まらないのが少子と進む高齢化、若年層が少なくて、傭兵頼みの日本軍?


 日本の変革,それは、静かに衰退するか,それとも広く門戸を開放、混血日本を作り出すか。あうんの呼吸,和をもって、仰げば尊し祖先の恩と、人口減少,それでも神国・ニッポンよいとこ、温泉あるし,おコメもあると一人ごち,参る者なき墓に入るをもってよしとするか。それがいやなら,多少どころか多大な摩擦,それもやむなし、祖先を辿れば日本人は、大陸,半島,南の島から流れ着いた面々と元から住んでた人間の混血,繰り返すのが歴史だと,笑って開国。新しき日本の姿,語れよ政治家。