望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

民間開放の落とし穴

 こんなコラムを2005年に書いていました。

 パキスタンやイランなど西アジアでの地震では、日干しレンガの壁の家が崩れて被害を拡大し,ビルでも耐震建築がなされていないため倒壊する惨事が珍しくない。世界でも有数の地震国である日本では,阪神大震災で多くのビルが地震に耐えられなかったことから建築基準法が改正され,少なくとも新設されるビルについては耐震性は高まったとされた。しかし、落とし穴があった。手抜き…。


 建築における手抜きの理由はコスト削減と工期短縮であると以前から言われてきたが,神戸で倒壊したり亀裂が入ったビルを見せつけられても,日本の建築に携わる人々の意識を変えることはできなかった。問題は、手抜きがどこまで広がっているのかだ。構造計算書を偽造した姉歯建築設計事務所と偽造を素通りさせ建築確認をした民間検査機関「イーホームズ」だけのことなのか、それとも民間検査の実態とはこんなものなのか。さらには施工の現場では手抜きはどうなっているのか。信頼の上に成り立っている制度で,ずさんな実態が暴露されると,不安は広がるばかりだ。


 「民間でできることは民間で」と主張する人々がいる。親方日の丸の国鉄がJRに変わってサービスが良くなったと都会に住む人は言い、民営化を是とするが,JRになって都市住民には便利になっても,地方に住む人々にも便利になっているとは限らない。民間企業となれば,儲かるところに力を入れ,赤字の部分は切り捨てるだけ。つまり安全性など儲けにつながらない部分にシワ寄せが行く。「民間でできること」には採算面で限界がある。


 民営化を論じる時には,受益と負担の線をどこで引くか、公共サービスのあり方を明確にする必要がある。赤字でも誰かがやらなければならないことや、採算重視ではできないことは公共サービスとしてやらざるを得まい。時代の変化とともに公共サービスのあり方も変化しよう。それを検証するところから民営化論議は始まる。赤字だからとむやみに民営化すると,採算重視で人減らしやサービス削減,果ては安全性など見えない部分が切り捨てられかねない。


 建築物の耐震性確保は、地震国・日本では必要だ。住む人ばかりではなく,地震で倒壊するかもしれない建物の周囲に住む人,さらには通行人として誰でもどこでも建物の倒壊の巻き添えになる可能性がある。建築確認の民間開放のツケが、震度5程度で倒壊するビル群の誕生だったとすれば、一部の民間企業の利益と引き換えに、この社会は安全性を手放したことになる。これも自己責任とやらなのだろうか。