望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

墓を暴いた者は必ず死ぬ

 「墓を暴いた者は必ず死ぬ」は真実である。絶対的な真実と言っていい。特に有名なのがツタンカーメンの例である。ツタンカーメンの墓を暴いた人間たちはその後、皆死んだ。似たような例は最近もある。1991年に標高3000メートルを越すアルプスの氷河で発見された男性のミイラ(約5300年前)「アイスマン」に関わった人たちが次々に死んでいる。


 日本でも同じような例がある。静岡の由比に、由井正雪の生家のものと伝えられる土蔵が残っており、地元では「開かずの土蔵」と言われている。なぜ、そう言われるかというと、土蔵の中を見た人は全員必ず、その後に亡くなっているからだ。


 このような現象はおそらく世界各地にある。日本各地にもある。げに恐ろしきは、この世に恨みを残して死ななければならなかった者らの執念じゃなぁ……講談ならば、こんな調子で語るだろう。死者の怨念が墓を暴いた者らに降り掛かってくるのだろうか。それは誰にも分からない。


 これらの事実を否定する人たちもいる。曰く「科学的でない」と。しかし、これらの事実は客観的真実なのである。他にも同様の事例はある。例えば「東京ドームでプロ野球の試合を9回裏まで見た者は、その後に必ず亡くなる」とか「サダム・フセインの処刑場面を見た者は、その後に必ず亡くなる」「フォアグラを食べた者は、その後に必ず亡くなる」「キリストを神の子だと信じた者は、その後に必ず亡くなる」「同じ相手と週3回以上セックスした者は、その後に必ず亡くなる」……この世の中には同様の事例が満ちあふれている。


 もうお気付きだろうが、ここで指摘しているのは「人間は必ず死ぬ」ということだけである。ツタンカーメンの墓を暴いた者も暴かなかった者も死んだ。死と生前の行為との因果関係は分からない。呪いや祟りと誰かの死を結びつけて語るのは、生き残った者らのやることである。「そうも解釈できる」という話が、例えばツタンカーメンアイスマン由井正雪らと結びつけて語られる。怖い話は面白いからだ。
 

 「そうも解釈できる」という話が蔓延しているのは精神世界関係だ。占いの類いはもとより、前世や来世、生まれ変わり、UFOなんてのは皆そうだ。多くの宗教が提示する世界観も「そうも解釈できる」ことでしかない。共通しているのは、客観的な証明は不可能なこと、つまり信じるかどうか。
 

 「そうも解釈できる」というのがはびこっているのは精神世界だけではない。政治の世界から発信されるメッセージにも「そうも解釈できる」話が多いようだが,生活の中にも入り込んでいる。例えば、ハイブリッド車。ガソリン車から買い替えると二酸化炭素削減に有効だと宣伝され、買う側もそう思いたいのだろうが、ハイブリッド車の生産過程(在庫を持たないことによる頻繁な部品納入なども含め)での二酸化炭素排出量も考えると、ガソリン車であろうが同じ車を長く乗り続けたほうが二酸化炭素の総排出量は少ないかもしれない。ただし、そうなると企業は困るだろうが。


 信じたい人間が「そうも解釈できる」という話を信じているだけなら自己責任ですむが、テレビ番組でのダイエット話や健康話などのように、事実を装った「そうも解釈できる」という話も珍しくない。疑うことを放棄して騙された人が馬鹿だと言えば、その通りなのだが。