望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

去り行く列車

 消えるとなると途端に人気がわき起こるのだから不思議だ。2009年の寝台特急はやぶさ・富士」の最後の出発を見ようと東京駅のホームに3千人以上が集まったという。07年度平均で20%の乗車率だったのに、廃止が決まってからは急に乗車率が上昇し、100%だったこともあるとか。



 「そんなに惜しむのだったら、ファンは日常的にもっと利用すればよかったのに」との声もあるが、廃止という動機づけが乗車率アップには必要だったのだ。新幹線網が整備され、路線が重複する寝台列車は利用価値が低下し、趣味の対象でしかなくなっていたのだ。懐かしむ声はマスコミで伝えられたが、廃止されて不便になるといった抗議の声が報じられなかったことが存在意義を物語っていた。



 0系新幹線の引退のときにもファンが群がった。鉄道ファンは、乗り鉄撮り鉄、車両鉄、録り鉄、模型鉄、食べ鉄、時刻表鉄、駅舎鉄、収集鉄などいろいろに分かれるそうだが、廃止される列車の最終便のホームに群がるのは何鉄なんだろうか。ニュース映像には、携帯やデジカメで撮っている人が多く映っていたが、あんな状況では満足な写真は撮れまい。

 マスコミも「はやぶさ・富士」の引退で番組を作っていた。航空網、新幹線、さらには高速バスなど長距離移動交通が整備された中で寝台列車の存在価値を論じる番組ではなく、去りつつあるものを感傷的に惜しむという趣向だった。「この列車で上京したんですよ」なんて初老の人のコメントが添えられていた。鉄道に感傷が似合うのか、鉄道の旅に感傷が似合うのか。



 通勤・通学列車をはじめとして鉄道は日常の乗り物である。乗車することは特別のことではなく、そんな列車の車窓から見る風景は見慣れた、目新しさのない住宅の連なりだったりする。しかし、寝台列車は非日常の乗り物だ。「はやぶさ・富士」でいうと、東京から熊本か大分に行く移動の時間=旅を楽しむ乗り物となった。そんな寝台列車の車窓から見えるのは「旅」の風景だ。たとえ、それが地元の人にとっては日常の風景でしかないとしても。



 寝台列車がイメージしていたものは、はるか遠くの東京と地方(郷里)を結ぶ旅である。視点は地方にあり、東京に向けられる。進学や仕事のために上京する時に寝台列車を使ったなどという思い出が重ねられ、寝台列車は過去の思い出を喚起する装置となる。年月とともに列車も駅も変化するが、路線は変わらず、山や海の配置も変わらず、「はるばる生きてきた長い時間」を感じさせてくれる。





 東京と熊本を結ぶ「はやぶさ」は約18時間、東京と大分を結ぶ「富士」は約17時間かかった。もっと短時間で移動できるのに、わざわざ寝台列車を選ぶ……そこには「無駄」な時間を費やすという贅沢がある。金のために忙しく働く人間には縁遠い贅沢だ。