朝の通勤時間帯などに、列車に乗り切れないほどの乗客が駅に集まって来て、到着した列車に先を争って乗ろうとするが、車内はすでに人で満杯。遅刻しまいと人々は無理に乗り込もうとするが、なかなか車内に体を入れることができず、列車のドアも閉じることができず、発車が遅れる。そこで押し屋と呼ばれる係員が力づくで押し込んだり、乗り切れない人をホームに下ろしたりした。
毎日、列車に乗り切れないほどの乗客が存在するなら鉄道会社の対策は、第一に運行本数を増やす、第二に客車を増結して乗車人数を増やす、ことだろう。押し屋を増やすことは場当たり的な対応に見える。とはいえ、すでに過密ダイヤなら運行本数を増やすことは困難で、客車を増結するには各停車駅のホームの長さに余裕が必要になる。
運行本数を増やすことも客車を増結することもできない中で、朝の通勤時間帯など短時間に乗客が集中するだけなら、押し屋を動員するという場当たり的な対応にも合理性はある。人間を荷物扱いしているとの批判は乏しく、人々は列車に押し込まれることに抵抗をしないのだから容認された手法であり、コスト面でも押し屋の動員は抜本的な対策より安価であろう。
列車の乗車人数に上限を設けてホームへの入場を制限するという対応もある。列車に乗り切れない人々に他の交通手段を選ぶことを強制する対応だが、おそらく人々からの批判が高まる。他の交通手段がないから駅に乗客が集まって来て、押し込まれることも我慢しているのだろう。他の交通手段を選ぶことができるなら、そうしているはずだ。
都市へ人々が流入し、人口が急膨張すれば、やがて駅には通勤客が溢れ、道路は車で渋滞する。人々の日常的な移動を考慮した包括的な都市計画があったなら、人口膨張に対応した公共交通の輸送力増強を進めていただろうが、そこまで配慮されていなかった。すでに建物が密集している都市で地上に新たな路線を敷設するのは困難で、地下鉄を新設するしかないが時間がかかる。それで駅には人々が集まり、押し屋が誕生した。
太平洋戦時の米軍による空爆で日本の多くの都市が破壊された。敗戦後には人々は生き延びることに必死で、行政にも余力が乏しかった。そうした状況下で新たな発想による都市計画など求めることは無理な注文だろう。だが高度経済成長期には、人々の生活の質を考慮に入れて先を見通した都市計画を策定することができただろうに、行われなかった。「日本人は我慢する」との前提で日本の都市は発展してきたように見える。
私鉄など鉄道会社も沿線の宅地開発などで乗客を増やしてきた。そうして増えた乗客は通勤でターミナル駅に集まり、乗換路線は大混雑となり、押し屋の登場となる。場当たり的な対応で凌いでいくという経済成長の象徴が押し屋なのかもしれない。