望潮亭通信

無常なる世界を見るは楽しかり

自然に任せろ

 フランス南西部で、野生のイノシシを追っていた70歳の猟師(男性)がヒグマに遭遇、襲われて足に重傷を負ったという。ヒグマは欧州最大級の肉食動物で、報道によるとフランスではほぼ絶滅したが、政府が1996年に再繁殖を目指す取り組みを開始し、スロベニアからヒグマを輸入してピレネー山脈南西部に放していた。

 この猟師は政府の再導入策により生息していたヒグマによって負傷した。なぜフランスでヒグマが絶滅したのか詳らかではないが、国策としてヒグマの再導入が行われなければ、この男性が負傷することなかった。人が襲われるなどのヒグマ関連被害は329件(2020年)と多く、ヒグマの再繁殖には家畜を脅かされると農家は反対しているという。

 日本では一度絶滅したトキが政府の保護増殖事業により、中国からトキの提供を受けて飼育、人工繁殖したトキを放鳥し、野生下でも雛が誕生するなどトキの復活が軌道に乗っている。環境省は2019年、人工繁殖で野生復帰が進んだとしてトキを、絶滅の危険性が1ランク低い「絶滅危惧1A類」に指定を変更した。

 日本でトキが復活して増えたとしても、トキは人間に危害を加える存在ではないが、ヒグマは人間にも家畜にも危険な生物だ。スペインがフランスとの国境地帯の山間地に再導入したヒグマが馬や羊を殺したことが2019年に確認された。絶滅したヒグマを復活させることは、生態系の復活だとの解釈なのだろうが、人為的な生態系の改変とも解釈できる。

 地球の歴史において多くの生物種が絶滅して消えた。恐竜が絶滅して次に哺乳類が栄えたように、何かの生物種の絶滅は他の生物種の生息域を広げたりする。生態系を固定したものと見るなら、絶滅したヒグマを復活させることは生態系の維持と解釈されるだろう。だが、生態系は常に変化しているのだから、絶滅したヒグマを復活させることは人間が生態系を変えることだ。
 
 生態系の維持という思想には根本的な欠陥がある。それは、一つの固定した生態系しか許すことができないとの考えにつながり、自然における生態系の変化を許容できなくなることだ。さらに、絶滅の危惧が強調されて「白クマさんがかわいそう」などの情緒的な賛同者が加わることにより、生態系の維持という思想は批判に対して不寛容になる。

 おそらくフランスでヒグマは人間により絶滅させられたから人為的に復活させようとしたのだろうが、人間も生態系の一部であることを思い出すなら、人為的な生態系の破壊も生態系の変化と理解するべきだろう。人為的な生態系の破壊は愚かな行為であろうが、絶滅したヒグマを再繁殖させて人間が考える「理想」の固定された生態系を再構築しようとの発想は、「人工的な楽園」を作るという愚かな試みだ。